花小金井駅の「花」って何? 実は西武の名称戦略、いまも幅広ホームに名残あり

お花見臨が運転されていた

 花小金井の駅ホームが幅広い理由から種明かしをすれば、かつてはホームに対して縦に切れ目を入れるようにしてもう1本の線路(中線)がありました。中線は車両の右側からも左側からも乗降できる2面3線の形状。高田馬場方面からのみホームに進入できる構造で、所沢方面は行き止まりの頭端式でした。

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幅が広い花小金井駅ホーム(2022年3月、内田宗治撮影)。

 その中線へは、お花見のシーズンなど、花小金井駅行きの臨時電車が発着していました。お花見スポットは小金井公園ではなく、玉川上水の堤に咲く「小金井桜」です。

 小金井桜とは、玉川上水の土手に約7kmにわたって植えられていたヤマザクラを指します。大正時代末の全盛期には、約1500本あったといいます。

 西武鉄道(現在とは経営母体が異なるので、旧西武鉄道とも呼ぶ)は、当時の省線 武蔵小金井駅を多分に意識し、小金井桜で花見するなら西武電車という宣伝的意味合いを込めて、小金井桜の最寄り駅を花小金井と命名したわけです。

 小金井桜は江戸時代半ば、徳川吉宗の時代に玉川上水に植樹されたのが始まりです。理由は、桜の木の根は堤が崩れるのを防ぎ、花を見に人が集まれば堤が踏み固められて頑丈になるためです。また玉川上水の水は江戸の人にとっての飲み水となりますが、桜の花ビラには水の解毒作用があるとされたためでもありました。

 江戸後期には歌川広重など、人気浮世絵師により花見の様子が描かれたこともあり、江戸近郊随一の名所となりました。後に明治天皇も行幸し、1924(大正13)年には国の「名勝」に指定されています。

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