花小金井駅の「花」って何? 実は西武の名称戦略、いまも幅広ホームに名残あり
木が邪魔… 伐採された堤の小金井桜
花見のシーズンには、花小金井駅また武蔵小金井駅へと臨時列車が運転されました。中央線の例では、「吉祥寺止り電車を全部(武蔵)小金井まで延長して十二分間隔で運転」(大正15年4月17日、東京朝日新聞)、「明日の(東京周辺の花見客の)人出百五十万と見込みをつけた鉄道省では、盛んに臨時の花見列車をくりだす。まず東京(武蔵)小金井間は67往復の臨時電車」(昭和2年4月16日、東京朝日新聞)などと新聞の紙面を賑わせています。
小金井桜の絶頂期は、まさに花小金井駅が開業した昭和初期頃で、その後は受難の時代へと移ってしまいます。戦時色が濃くなり、花見どころではなくなるのでした。
さらに戦後は自動車の数が激増し、玉川上水の堤に沿って五日市街道が拡張されると、邪魔になるからと一部の桜の木が伐採されました。残された木も排気ガスにさらされるなど、従来のような桜の花見ができなくなってしまいます。桜の木は1965(昭和40)年には、約730本まで減少しました。
こうした小金井桜の姿を見て、都立小金井公園に桜の木が植樹されていきました。花小金井駅や武蔵小金井駅への臨時電車もなくなり、いつしか花小金井駅では中線も撤去され幅の広いホームとなり、1998(平成10)年に橋上駅舎化されています。
とはいえ現在でも、江戸時代以来の小金井桜の名残が、駅名と幅の広いホームに見られるというわけです。
【了】
Writer: 内田宗治(フリーライター)
フリーライター。地形散歩ライター。実業之日本社で旅行ガイドシリーズの編集長などを経てフリーに。散歩、鉄道、インバウンド、自然災害などのテーマで主に執筆。著書に『関東大震災と鉄道』(ちくま文庫)、『地形で解ける!東京の街の秘密50』(実業之日本社)、『外国人が見た日本 「誤解」と「再発見」の観光150年史』(中公新書)』ほか多数。
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