西武新宿線の東村山~高田馬場間が開業した日 「武蔵野鉄道」に対抗 -1927.4.16
95年前の4月16日、現在の西武新宿線の東村山~高田馬場間が開通しました。
西武2路線が所沢で「クロス」している理由
1927(昭和2)年の4月16日。西武鉄道が東村山~高田馬場間に「村山線」を開業しました。現在の西武新宿線です。
当時の「西武鉄道」(現在の会社とは別)は前身の「川越鉄道」時代に、川越~所沢~国分寺間に鉄道を開業していました。現在の新宿線の一部と国分寺線にあたるルートで、国分寺からは中央線(当時は甲武鉄道)に乗り入れて都心アクセスを担っていたのです。しかし甲武鉄道が国有化されると直通も無くなり、1915(大正4)年には武蔵野鉄道が現在の西武池袋線である飯能~所沢~池袋間を開業。一気に客を奪われてしまうことになりました。
焦った西武鉄道は、自社でも都心アクセス路線を建設することを決定。紆余曲折の末、武蔵野鉄道の南側で並行するように、東村山から東へ鉄道を伸ばし、高田馬場に至るルートとなりました。鉄道敷設免許取得からわずか数年で開業に漕ぎつけ、いよいよ2社の争いは激しさを増していきます。特に一体で管理されていた所沢駅では、都心への客の争奪戦で、ピリピリした雰囲気であったといいます。
さて、大泉学園で住宅開発を進めていた実業家、堤康次郎は、多摩湖鉄道の開業などを経て、武蔵野鉄道の経営にも関わるようになります。そして戦時の情勢も相まって、堤の下で武蔵野鉄道と西武鉄道は合併。戦後、新たな「西武鉄道」として再出発し、現在に至ります。
西武は新宿線・池袋線が付かず離れずで並走しているのが特徴ですが、狭山湖周辺でも複数の路線が密集しています。こちらもかつてのライバル会社たちが、それぞれの集客を狙って鉄道を敷設した名残なのです。
長らく高田馬場駅が都心側のターミナルであった新宿線ですが、開業から四半世紀が経った1952(昭和27)年に、念願の新宿延伸となります。「新宿線」という名称も、この時に生まれました。
【了】
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