羊かん以外の名物も 給糧艦「間宮」が竣工-1924.7.15 艦影で将兵みな大歓喜!

食材製造以外にも、間宮の知られざる能力

 ほかにも「間宮」は1日305tの製氷能力を有していたほか、病院船としての役割も担えるほどの充実した医務関連施設を備えていました。また強力な無線通信設備を有していたことで無線監査艦の役目を務めたこともあったほか、演習ではアメリカ戦艦に扮したこともあったそうです。

 ただ戦闘艦艇ではないため速力が遅く、艦隊に随伴せずに単艦での行動が多かったといわれています。駆逐艦などの護衛が付くこともあったようですが、アメリカ側の攻撃でたびたび被害を被っており、最後は1944(昭和19)年12月20日、南シナ海の海南島沖で、アメリカ海軍の潜水艦「シーライオン」の魚雷攻撃を受け、翌21日未明に沈没しました。

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1940(昭和15)年に発刊された『日本軍艦集:2600年版』(海軍研究社)掲載の「間宮」。運送艦に分類されており特に給糧艦としての紹介はない(国立国会図書館蔵)。

 旧日本海軍は太平洋戦争時、複数の給糧艦を運用していましたが、そのほとんどは冷凍品や生鮮品の運搬が可能なように艦内に冷凍庫や冷蔵庫を備えただけで、「間宮」のように各種食材を内製できる設備を持った艦は、ほかに「伊良湖」があるのみでした。

 そのため、「間宮」と「伊良湖」の2艦は将兵の士気を維持するために欠かせない貴重な艦として終始重用され続けたのです。

【了】

【もうひとりの“アイドル”】給糧艦「伊良湖」

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