戦闘艦になった“民間商船”どう使われた?「報国丸型」の知られざる活躍 武装は軽巡並み
客船ゆえのシルエットを活かして勇戦
「報国丸」は1941(昭和16)年に日本海軍に徴用され、10月には仮装巡洋艦になります。そして12月の太平洋戦争開戦時、「報国丸」と「愛国丸」はニュージーランドの北東4500kmにいました。なぜここにいたのかというと、米英とニュージーランド、オーストラリアを結ぶ航路に陣取って、通商破壊戦を開始するためでした。
さっそく同月、アメリカ船「セント・ヴィンセント」を発見した「報国丸」は停船命令を出し、乗員を収容して撃沈します。
翌1942(昭和17)年1月、水上偵察機がアメリカ船「マラマ」を発見し、水偵の小型爆弾で警告して停船させました。「報国丸」が急行し、「マラマ」を撃沈しますが、同船が緊急無電を発したため、トラック島に帰還しました。
その後、「報国丸」と「愛国丸」はインド洋方面への通商破壊戦に投入され、1942(昭和17)年5月に、オランダ船「ゼノタ」を捕獲します。その後「ゼノタ」は海軍特務艦「大瀬」に転用され、日本船として多用されました。
さらにイギリス船「エリシア」を撃沈、ニュージーランド船「ハウラキ」を捕獲するなどの勇戦ぶりを見せますが、11月にインド海軍掃海艇「ベンガル」と、オランダのタンカー「オンディーナ」と遭遇します。「報国丸」は掃海艇「ベンガル」を撃破したものの、残る一隻の「オンディーナ」が停戦命令に従うふりをしつつ至近距離から10.2cm砲を撃ってきたことで、その砲弾により積んでいた水上偵察機用のガソリンに引火。魚雷も誘爆したことにより、沈没してしまいます。
僚艦の「愛国丸」は「報国丸」の敵とばかりに「オンディーナ」を攻撃し、炎上させましたが、「報国丸」が沈没したことから、旧日本海軍は仮装巡洋艦による通商破壊作戦を中止する決断を下しました。
仮装巡洋艦の活躍はヨーロッパでも見られますが、航空機や潜水艦の威力が大きくなった第2次世界大戦では、その活躍は相当限定されるもので、作戦中止はやむを得ないものでした。また、旧日本海軍は艦隊を動かすためのタンカーすら、作戦に支障があるほど不足しており、軍事物資輸送用の民間船舶も同じでした。21.2ノット(約39.3km/h)もの速力を発揮できる「報国丸」のような優秀船舶は、軍事物資や兵士の輸送上、下手な軍艦よりも重要な船舶だったのです。
実際「報国丸」が沈んだ後、「愛国丸」「護国丸」は性能を活かした輸送任務に従事しており、太平洋戦争では「見えない活躍」をした武勲艦だったと言えるでしょう。
【了】
Writer: 安藤昌季(乗りものライター)
ゲーム雑誌でゲームデザインをした経験を活かして、鉄道会社のキャラクター企画に携わるうちに、乗りものや歴史、ミリタリーの記事も書くようになった乗りものライター。著書『日本全国2万3997.8キロ イラストルポ乗り歩き』など、イラスト多めで、一般人にもわかりやすい乗りもの本が持ち味。
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