ソ連の元祖「エンジン尻ジェット旅客機」どう生まれた? ツポレフ屈指のヒット作Tu-134とは

ソ連製リアジェットが生まれた背景

 Tu-134の開発前、欧州で斬新な設計が施されたジェット旅客機が誕生します。フランス製の「シュド・カラベル」です。同機はエンジンを機体の後部に配する「リアジェット」のスタイルを世界で初めて採用。おもに100席以下の席数を持つ短距離路線用の旅客機で、このスタイルは一種のトレンドとなります。

 というのも、リアジェットは主翼にエンジンを搭載しないため、主翼に強力なフラップ(高揚力装置)を設置できることから、短い滑走路への離着陸ができます。Tu-134は不整地への離着陸も可能だったとか。また、エンジンと客席の距離が稼げるため、旅客にとっても静粛性の向上にも繋がりました。

 そういったトレンドを踏まえ、ツポレフ設計局では、エンジンを尾部に移動したTu-124の改良版の「Tu-124A」を開発し、初飛行させたのが、先述の1963年7月29日です。その後、機首上げ時の水平尾翼の利きを改善するなどの改造が行われたのち、後年量産型の「Tu-134」として改めて初飛行したと記録されています。

 Tu-134は、近距離小型旅客機として、エンジンも2基と少なく、機体自体も整備性がよかったと考えられることから、旧ソビエト連邦内のみならず近隣東側諸国でも採用、ヒット作となりました。

 ロシアのフラッグキャリア、アエロフロートは、西ヨーロッパと東ヨーロッパのほぼすべての就航都市に同機を投入。1967年のモスクワ~ストックホルム航路を皮切りに、国際線にも投入されました。同社は「操作のしやすさと操縦のしやすさで非常に人気の機種だった」とこの機体を評価しています。

 なお、アエロフロートの同型機は2007年末で全機が退役。航続距離の関係から日本への飛来例はほとんどなかったようです。筆者は成田空港でTu-134を見たことはありましたが、おそらく傘下のキルギスタン航空のものだった気がします。

【了】

【写真】スリム感ぱねえ!あまりにスタイリッシュなTu-134の全貌

Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)

成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。

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コメント

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1件のコメント

  1. >>機首先端がガラス張り風防になっている

    原型が爆撃機なので、この風防は実は爆撃照準用窓なんですよね。