「開かずの第一京浜」も昔 京急蒲田駅高架化から10年 駅伝選手も「足止め」の思い出
京急蒲田駅の高架化完了から、今日で丸10年を迎えました。
東京の大動脈を2本も分断
今からちょうど10年前の2012(平成24)年10月21日。東京都大田区の京急蒲田駅が完全高架化を迎えました。
京急蒲田駅は空港線が羽田空港方面へ分岐する主要駅。空港線は「エアポート快特」「エアポート急行」をはじめ、1時間あたり11本の高頻度運転で、都心や千葉県、横浜方面からの広域鉄道アクセスを担っています。
その空港線はかつて、地上時代の京急蒲田駅を出ると、すぐ東側に並行する「第一京浜」(国道15号)を堂々と平面横断し、空港方面へ走り抜けていました。
国道15号は都心と横浜を直結する大動脈道路。当然ながら、電車が差し掛かるたびに踏切が閉まり、前後は大渋滞となっていました。新年恒例の「箱根駅伝」でも、かつては選手が踏切待ちで足止めを食らい、待った分だけあとでタイム調整をする、といった措置がされていたこともあります。
第一京浜だけでなく、すぐ南側の環八通りも京急本線を横断しており、朝夕のラッシュ時は「開かずの踏切」と化して、深刻な渋滞を引き起こしていました。
高架化事業は2000(平成12)年に着手。隣に仮線を開通させて運転し、元の位置に高架を建設し、その下にまた線路をうつすというやり方を繰り返し、2010(平成22)年に品川方面が、2012年に横浜方面が使用開始となったのです。
高架化した京急蒲田駅は特異な構造をしています。上下線で階が分かれ、それぞれに本線と空港線が対面乗り換えできるほか、ホームの南端が奥に伸びて待避用ホームが設けられ、駅全体で1番線から6番線まであります。
さらに「エアポート急行」など横浜方面からの空港行き列車は、品川方面のりばで進行方向を変えて空港線へ向かいます。空港線の線路は、ホームの真ん中あたりから駅構内を突き抜けるように出ていく形で、2層構造のまま東へ伸びていきます。
高架化事業が一段落終えた京急蒲田駅ですが、次のプロジェクトとして、東急多摩川線が蒲田駅から約800m西側へ地下線で延伸し、この京急駅で乗り換えできるようにする「蒲蒲線」構想があり、事業化に向けた動きが活発化しようとしています。
【了】
コメント