形も能力もまさに“怪鳥”! 旧ソ連「最速のプロペラ旅客機」はどう誕生? 異形も高スペックゆえ

実は「民間航空の日ソ国交樹立」も一役買った?

 Tu-114はTu-95の腰高なルックスを引き継いだだけでなく、さらに機首部分の延長を図ったとされています、そのため、搭乗・降機の方法も特別で、専用の長い搭乗用のステップが必要でした。専用のステップ車が使えない場合、通常のタラップ車を横付けし、不足分は機体に備え付けのタラップをつないで使用したとか。

Large 02r
JAL東京~モスクワ線開設の様子。アエロフロートのTu-114が使用された(画像:JAL)。

 このように高い性能や機体のユニークさを持つTu-114ですが、日本と旧ソ連を結ぶ架け橋となる機体だったことも特筆すべき点でしょう。

 JAL(日本航空)は1967年、東京~モスクワ線を開設しました。このとき運航を担当していたのが、旧ソ連の国営航空会社アエロフロートが運航するTu-114でした。当時まだ日本からヨーロッパへの直行可能なジェット旅客機は存在せず、アラスカ・アンカレッジ空港を経由する便しか運航できませんでした。そのようななか、いろいろな検討ののちに同路線は、Tu-114をJALとアエロフロートが共同運航するという方法を採用。同機の長い航続距離が、日本と旧ソ連をスムーズにつないだのです。

 このときの資料によると、機体全体は運航会社のアエロフロートの塗装が施されているものの、その機首にJALのトレードマークである「鶴丸」を貼った機体が見られます。羽田空港に駐機している姿はさぞ、珍しいものだったことでしょう。

 ちなみに、この共同運航便にはJALの客室乗務員も搭乗。そのことで、JALの客室サービスが、アエロフロートのサービス内容に影響を与えた、ともされています。

【了】

【写真】細ッ!エンジンデカッ! 摩訶不思議な「Tu-114」を色んな角度から

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。