まさに“災い転じて…” ANAのユニーク機「トライスター」がここまで愛されたワケ 裏には革新的設計?
ドラマのようなANA「トライスター」の経緯
ANAでは1974年3月10日に、L-1011「トライスター」を就航、ところが、その半年後の9月1日に2基のエンジンにオイル漏れが起きて緊急着陸するトラブルに見舞われます。9月4日にもエンジン2基でオイルが漏れ、運輸省(当時)は運航中止を指示しました。
このアクシデントは、1976年11月25日も起き、このときも緊急点検が行われました。また、この年は、当時戦後最大の疑獄事件と呼ばれたロッキード事件もあり、このときの「トライスター」は華やかなイメージとかけ離れた目で見られることになりました。
しかし、ネガティブなイメージは最初だけで、就航路線が広がるとともに、ANAの成長に合わせて日本の大量輸送時代を担いました。3軸式と呼ばれたRB211も2軸式に比べて構造は複雑でしたが、その分、ANAの整備力をアップさせました。
「エルテン(トライスターの愛称)はDC-10より研究を重ねてつくられた」――このように愛着を語るANA社員もいました。「トライスター」の就航率を高めようと努力したことで、同社が1977年6月に導入を決めた、「ジャンボ・ジェット」ことボーイング747SRの運用へ、円滑にステップアップできたと思っていた社員は多いようです。
「トライスター」は文字通り、ANAにとっては、スターダムに駆け上がるための期待の“星”の役割を果たしたといえるでしょう。
ANAの「トライスター」とJAL(日本航空)、JAS(日本エアシステム)のDC-10の対照的な中央エンジンのダクトは空港でも目につきました。垂直尾翼のロゴ・マークにも目が自然に行き、 “お尻”の違いはよい宣伝になりました。
「トライスター」自体の生産は250機で終わりましたが、ANAでは初の国際定期便となった成田からグアム線に投入されるなど活躍。さまざまな財産を同社に残し、初飛行した月と同じ1995年11月30日にANAの定期便から姿を消しました。
ANAはその後、ラストフライト機だったJA8509のエンジンブレードを使い、退役記念のキーホルダーをつくりました。筆者も1つ持っていますが、元は「高圧圧縮機3段静翼」だったキーホルダーは、ANA社員が「トライスター」へ込めた感謝の気持ちが一目で分かるほど丁寧に仕上げられています。
【了】
Writer: 相良静造(航空ジャーナリスト)
さがら せいぞう。航空月刊誌を中心に、軍民を問わず航空関係の執筆を続ける。著書に、航空自衛隊の戦闘機選定の歴史を追った「F-Xの真実」(秀和システム)がある。
トライスターの混雑した便で棚の取り合いで怒鳴り合いになりかけたのを見たことがあり、客室設備のデザインとしては赤点というのが客としての勝手な感想。
センター席の頭上にも棚のある767には、それだけでも大改善に感じた。
ロッキード社はやはり軍用機屋さんだな。