スバル渾身の高級車「遠くへ、美しく」を追求した意欲作なぜ失敗した? メカニズムもデザインも秀逸だったのに!
1991年9月に富士重工(現SUBARU)が発表した高級クーペ「アルシオーネSVX」は、伝統の水平対向6気筒エンジン+4WDに、ジウジアーロが手掛けた美しいスタイリングを組み合わせたのに、なぜ成功しなかったのでしょうか。
富士重工が作った渾身の高級クーペ
今から30年以上前、国産車メーカーは「バブル景気」と呼ばれた史上空前の好景気を背景に、今では考えられないようなユニークなコンセプトや、デザイン性に優れたクルマを数多く開発していました。

なかでも、「500 miles a day(1日で約800km走れます)」というキャッチコピーで1991年9月に登場したスバル「アルシオーネSVX」は、ハイテクを満載した高級グランドツーリングクーペとして大きな注目を集めました。
「アルシオーネSVX」は、モダンかつエレガントなスタイリングのクーペボディに、専用設計された3.3リッター水平対抗6気筒エンジン(フラットシックス)を搭載。駆動方式はスバルのお家芸である4WDで、そこに不等&可変トルク配分電子制御や4WSなどの先進機能を盛り込んでいました。
しかし、当初こそ話題を呼んだものの、そのスペックとは裏腹に販売は低迷。5年あまりの販売期間中の新車登録台数はわずか6000台弱でした。これは単純計算では年間1200台、1か月あたり約100台というものです。なぜ、ここまで売れなかったのでしょうか。
「アルシオーネSVX」を開発した富士重工(現SUBARU)の前身は、戦前から戦中にかけて一式戦闘機「隼」や四式戦闘機「疾風」など、数々の名機を生み出した中島飛行機です。同社は太平洋戦争の敗戦によって12社に分割されますが、そのうち5社が出資して1953年に「富士重工」として新たな一歩を歩み始めました。
創成期の富士重工は、チーフエンジニアに航空機畑出身の百瀬晋六を据えたことで、その設計は「飛行機屋のクルマ」らしく、軽量で合理的なものに仕上がっているのが特徴でした。その代表作が通商産業省(現・経済産業省)の「国民車構想」に基づき、1958年に登場したスバル「360」です。比較的廉価で、狭いながらも大人4人が乗ることができる実用性の高さから、12年間で39万2000台が販売される大ヒットを飛ばしました。
しかし、続くスバル「1000」は、さまざまな新機軸を盛り込んだものの販売は低迷、富士重工の期待は打ち砕かれてしまいます。
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