「ホンダジェット」成功の秘密は異形ルックスにあり? 「翼の上にエンジン」どんな利点でナゼ?
ホンダ創業者の夢「飛行機作る」を叶えた「戦略」
国内有数自動車メーカー、ホンダの創業者である本田宗一郎氏は、実はかねてから飛行機を開発したいという夢があり、実際に試験機を作ったこともあります。このときからホンダの航空機開発に携わっていたのが、ホンダジェットの生みの親で、ホンダ・エアクラフト・カンパニーの初代社長である藤野道格氏です。
同氏は1997年のある夜、ホンダジェットのデザインを考案するや否や、壁のカレンダーからページをはがし、そこに書き込んだという逸話があります。先述したエンジン配置は、このときすでに盛り込まれていました。
ただ、民間機を実用化させ、広く販売する点においては、大きな壁がひとつありました。アメリカ、FAA(連邦航空局)における型式証明(そのモデルが一定の安全基準を満たしているかどうかを国が審査する制度)の取得です。かつての国産旅客機「YS-11」の開発でも、日本国内で開発を進めてしまったゆえに、型式証明の審査基準をクリアするためのノウハウがなく、かなり苦労した点でもありました。
そのためにホンダは、日本ではなく、アメリカにホンダ・エアクラフト・カンパニーを新設し、そこで開発を進めることとしました。それでもなお「ホンダジェット」のFAA型式証明の取得は順調にはいかず、取得できたのは初飛行から12年後の2015年になってしまいました。
ただ、発売開始後のホンダジェットは燃費性能の高さや居住性の良さなどが評価され、2021年まで5年連続で小型ジェット機カテゴリーにおいてトップの納入数を記録。その製造機数は2021年12月時点で、すでに200機を超えています。型式証明を取得した国も、すでに10か国をゆうに超えました。
その後、同社では、2018年に「エリート」、2021年に「エリートS」、そして2022年に「エリートII」といったホンダジェットの派生型を開発し、製造を進めています。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
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