日本製のベストセラー民間機3選 ホンダジェットの前にも三菱 富士重工(スバル)
ホンダジェットやスペースジェット(旧MRJ)の動向が、日本の航空業界を賑わせていますが、1960年代もYS-11をはじめ、民間企業で様々な航空機が計画、販売されました。それらの奮闘を見ていきます。
YS-11とほぼ同時期に誕生した国産ビジネス機
ホンダの小型ビジネスジェット機「ホンダジェット」の販売が好調です。2020年2月には、世界の小型ジェット機カテゴリーにおいて、2017年から3年連続でデリバリー数(納入数)トップを達成したことが発表されました。
世界的に反響の大きい「ホンダジェット」ですが、過去にも日本製の小型民間機で世界的に高評価を得た機体がありました。太平洋戦争後に日本企業が開発した、3種類の小型民間機について見ていきます。
先の「東京オリンピック」直前である1963(昭和38)年、三菱重工の「MU-2」が初飛行しました。
太平洋戦争終結後の航空機開発生産禁止期間を経て、三菱重工は航空自衛隊向けのF-86F「セイバー」やF-104J「スターファイター」といった、アメリカ製戦闘機のライセンス生産に続き、戦後初の国産旅客機、YS-11の開発にも参画するかたわら、独自に小型ビジネス機の開発を検討するようになります。
MU-2は1963年9月14日に初飛行すると、1966(昭和41)年には販売を開始しました。計画当初から主要市場とにらんでいたアメリカでは、年間40機から50機の安定した販売が行われましたが、1971(昭和46)年に為替レートの自由化で円高に、続く1973(昭和48)年の第1次オイルショックで世界的不況になり、売り上げが大きく落ち込みます。
苦境のなか10年以上、販売が続けられたものの、1987(昭和62)年、三菱重工は新型機として開発したMU-300(後述)の販売に注力するため、MU-2の製造販売を終了しました。
MU-2の総生産数は762機、世界27か国で販売されたほか、自衛隊にも採用されるなど、世界の小型ビジネス機の中ではベストセラーでしたが、前述した理由から利益面では厳しかったようです。
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