製造1.5万機以上! 傑作飛行機「DC-3」メガヒットにはカラクリが “純正機”は実はごくわずか?
実は「純DC-3」は600機だけ?メガ・ヒットとなったカラクリ
実は、純粋な「DC-3」は約600機しか製造されておらず、1943年に生産を終了しています。ただ、この機は軍事転用され、さまざまな国で作られることになり、それがメガヒットにつながったのです。
アメリカ陸軍航空隊では、「DC-3」がC-47輸送機として採用され、物資輸送や落下傘部隊の降下用に使用。最終的には1万機以上が製造されました。また、日本でもライセンス生産され、第2次世界大戦中には零式輸送機として500機近くが製造されています。
しかも、これらの「軍用版DC-3」は大戦が終結すると、再度旅客機として改修され、民間航空の世界に“出戻り”することになりました。つまり、民間仕様含め、ほとんどのDC-3はC-47を民間登録したり、DC-3にC-47のパーツを使用したりする「軍用輸送機出身」の機体ということになるのです。
話をこの機の初飛行を戻すと、12月17日はライト兄弟による人類初の動力飛行から32周年を迎える日で、あえてこの日が選ばれたそうです。ちなみに、「DC-3」のもととなった「ダグラス寝台機」はその名のとおり、アメリカ大陸を横断するには、途中複数回の給油と長時間の移動となることから、14台の寝台を備えた「オール寝台旅客機」仕様としていましたが、量産型では座席のみとするのが標準的となりました。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
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