露が破壊「世界最大の飛行機」には姉がいた? こちらも超巨大&超スペックのギネス級輸送機 今も飛ぶ
実は「大きい」だけじゃない「ルスラン」の凄さ
An-124「ルスラン」はウクライナ・キーウ(キエフ)で試験機が製造され、地上に留め置いた状態での各種試験が6万時間実施されました。世界初の取り組みとして、これらの試験をすべて1機の試験機のみで対応。このことで、開発コストを大きく下げることができました。
その後An-124「ルスラン」は、まずソ連空軍に軍用機として配備されると、その比類なきキャパシティから、なんでも運べる輸送機としてその能力を発揮します。また標準時の航続距離は1万5700kmではあるものの、2万151 km を25時間30分かけて直行便を運航し、航続距離の世界記録を打ち立てたこともあります。
ただその後1991年にソ連が崩壊。それにともなってこの機は生産が一時中断されましたが、旧アントノフ設計局の系譜をくむアントノフ社がウクライナの航空機として、2004年までに55機を生産しました。
An-124「ルスラン」は現在も、その圧倒的な収容力を軍用輸送以外にも生かしています。民間航空の貨物機としても運用され、大型貨物の輸送を担当。そのひとつにアントノフ社の系列であるアントノフ航空(An-225の運用者でもある)のものがあり、日本では同社の「ルスラン」が中部空港によく飛来しています。
なお冒頭で、An-124「ルスラン」はAn-225「ムリヤ」と姉妹機といいましたが、「ルスラン」の設計をベースに、ソ連版の宇宙船を搭載すべく、さらなる大型化やエンジンの増備などを図ったのが、「ムリヤ」です。「ムリヤ」はロシアにより破壊されてしまいましたが、この世界最大の飛行機の誕生までの経緯には、いまなお現役の「ルスラン」の存在が大きく関係していたのです。
【了】
Writer: 種山雅夫(元航空科学博物館展示部長 学芸員)
成田空港隣の航空科学博物館元学芸員。日本初の「航空関係専門学芸員」として同館の開設準備を主導したほか、「アンリ・ファルマン複葉機」の制作も参加。同館の設立財団理事長が開講した日本大学 航空宇宙工学科卒で、航空ジャーナリスト協会の在籍歴もある。
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