戸田競艇が首都東京を守ってる? 川のような日本一のボート場「戸田漕艇場」が生まれたワケ

戦後競艇場として運用されるも当時は幅が狭く……

 戸田漕艇場は競技会場でこそなくなったものの、治水対策としての役割は残っているということで、工事は規模を縮小しつつも続けられ、1940(昭和15)年10月31日に戸田オリンピック・コースとして竣工式が行われます。

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第1ターンをどう曲がるかが勝敗の重要な部分(斎藤雅道撮影)。

 終戦から9年後の、1954(昭和29)年には10月14日に戸田漕艇場内に、戸田競艇場が開場します。当時はコース幅が70mとかなり狭かったため、対岸に乗り上げる選手などもいたそうです。

 1959(昭和34)年には、再度の東京オリンピック開催が決定し、再び会場候補として脚光を浴びますが、当時の戸田町議会は、前回、国の方針に振り回されたことと、開催期間中は戸田競艇場の収入が断たれることから最初は難色を示したとのこと。結局、開催2年前に受け入れ、突貫工事でコース幅を70mから90mに拡張する工事などが行われ、1964(昭和39年)の開催に間に合わせます。

 現在、下流部は戸田公園として整備され、カヌーとカヤックの練習場としてやボート競技の会場として使用されています。上流部の戸田競艇場に関しては現在、コース幅が107.5mまで伸ばされています。それでも、全国一狭い競走水面であることには変わりなく、フルパワーでのターンができないため、インコースの1着率が全国ワーストクラスで「まくりの水面」とも言われ、波乱が起きやすいことで知られています。

【了】

【川の隣に突然現れる】航空写真でわかる昔の戸田漕艇場

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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