群馬「高崎vs前橋」明治から続く因縁 玄関駅は高崎 でも県庁は前橋のワケ

県庁に関しては誘致運動をするも鉄道は…

 当時生糸の生産で富を得ていた前橋の商人たちが立ち上がり、後に初代前橋市長になる生糸商人の下村善太郎が中心となり、移庁による官舎新築費用の負担を提案。自身も私財の一部をそれに投じるなど誘致活動に貢献し、ついに1881(明治14)年、前橋への県庁移転が法律で決定します。なお、この決定には高崎の人々が激怒し、抗議活動は一時軍隊の出動要請を考えるほど、大規模になったそうです。

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前橋駅のホームで停車する高崎線直通列車と両毛線の車両。2023年3月からこの光景が見られる機会も少なくなる(斎藤雅道撮影)。

 しかし、鉄道網に関しては、当時重要な輸出品だった生糸をもってしてもどうにもなりませんでした。県庁移転のごたごたから3年後の1884(明治17)年5月、東京方面から路線を延ばしてきた日本鉄道が高崎駅を開業し、3か月後には前橋まで延伸します(現在の前橋駅とは異なる)。ただ、翌年の10月には、国(官設鉄道)が後の信越本線となる高崎~横川間を開業し、高崎駅はいち早く、ターミナルとしての地位を高めました。

 高崎は、古くから交通の要所で、江戸と京都を結ぶ主要街道である中山道や、関東と越後(新潟)を結ぶ三国街道などが通っていました。そのため、主要街道と接していない前橋は交通の面で高崎に大きく水をあけられただけでなく、当時の前橋駅は、利根川の関係で市街地からやや外れたところに設けられていました。

 時は流れ、1982(昭和57)年11月に新幹線が開通すると、高崎駅はさらに発展します。現在、高崎駅前はペデストリアンデッキにより歩道と車道が分離し、高崎オーパ、高島屋高崎店、ヤマダ電気 LABI1 LIFESELECT 高崎といった大型商業施設や高崎芸術劇場へ、駅から地上に降りることなく向かうことが可能です。

 ただ、群馬県は全国屈指のクルマ社会でもあり、郊外の大型店舗などが発展しています。前橋市は前橋駅前こそ閑散としていても、財政収入の面で高崎市に大きな差をつけられているわけではありません。

 ちなみに群馬県には、前橋市、高崎市に加え、伊勢崎市、藤岡市、玉村町を合併する“東国市構想”なるものがあり、2025(令和7)年までの実現が目指されていたものの、見送られています。

 この合併構想に関して、2017年に当時の山本 龍前橋市長は記者からの質問に「GDPでもかなりの規模。新しい地方制度を確立するとなれば、その中でそれぞれの市の存在は大きくなると思う」と前向きな発言をしていますが、富岡賢治高崎市長は「合併推進にメリットはない」と否定的で、明治から続く両市の因縁は今も残っているともいえます。

【了】

【え……】これが群馬の県都「前橋駅前」の様子です(写真)

テーマ特集「【記事まとめ】昔の鉄道風景は驚きだらけ!? あの路線の意外な歴史、幻に消えた鉄道計画も…知るほど奥深い「鉄道考古学」の世界」へ

Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)

ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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コメント

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1件のコメント

  1. 埼玉の浦和、大宮は仲が悪くても合併したが、10年前、人口70万でも政令市になれたチャンスをみすみす逃した、高崎と前橋。
    今後は減る一方。