なぜその場所に? 街から離れた「ポツンと始発駅」その事情を捜索

鉄道の始発駅、終着駅のなかには、ほかの中心駅から離れてポツンとたたずむ駅が少なからずあります。市街地や観光地のかなり手前に駅があることも。それぞれどんな事情があるのでしょうか。

元々ライバル会社だった? いまは静かな「ポツンと始発駅」

 鉄道の始発駅、終着駅のなかには、他の中心駅からポツンと離れた駅が少なからずあります。弘南鉄道大鰐線の始発駅、中央弘前駅(青森県弘前市)は、同じ弘南鉄道の弘南線やJRが発着する弘前駅(同)から実に1.4kmも離れた住宅街のなかにポツンとたたずむ駅です。

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弘南鉄道大鰐線の中央弘前駅は、ほかのどの鉄道路線とも接続していない始発駅(2011年5月、宮武和多哉撮影)。

 元々大鰐線は、弘前電気鉄道という現在の弘南鉄道とはまったく別の会社によって建設された経緯があります。会社設立当初は、弘前市から10kmほど北の板柳町まで路線を延ばす計画でした。つまり中央弘前駅はあくまで延長が前提の「仮設の駅」だったのです。

 しかし、朝鮮戦争による物価高騰で資金がおぼつかなくなった上、土地買収もまったくの不調に。弘前電気鉄道自体もバスとの競争もあり、一度も利益を計上できないまま1970(昭和45)年、弘南鉄道に営業権を明け渡しました。中央弘前駅は、仮の場所から動くことも、他の駅と接続することもなくいまに至ります。

 しかし、弘前市は戦後に「学都」を目指して数々の学校を誘致したこともあり、中央弘前駅の周囲は複数の高校、大学が建ち並んでいます。地元の利用者は、中央弘前駅に置いた自転車で学校や職場へ向かう場合も多いそうです。

「元々別会社だった」ケースは、南海高野線の始発駅である汐見橋駅(大阪市浪速区)も挙げられます。高野(こうや)鉄道がいまの南海高野線を建設した際に、堺市内から難波までいまの南海本線へ乗り入れを計画したものの、当の南海側に断られてしまいます。その結果、自力で離れた場所に大阪側のターミナル駅を造らざるを得ませんでした。南海難波駅から1.6kmも離れたその立地は、不本意なものだったのです。

【写真】時間からも「ポツン」と取り残された始発駅

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