梅田の広大な貨物駅 なぜ長く残った 「大阪最後の一等地」が未だ空白の理由 どう変化?

大阪梅田を通るJRの貨物線が地下化されます。しかし、地上の貨物駅跡にはいまだ更地も残ります。他の大都市では貨物駅の再開発が完了するなか、ここだけは長く貨物駅が存続しました。「大阪最後の一等地」はどう変貌するのでしょうか。

まもなく姿を消す梅田貨物線 地上の再開発は

 JR大阪駅の北側で進む「うめきたプロジェクト」。10年前までJR貨物の貨物専用駅だった梅田駅跡地約24ヘクタールでの再開発計画です。その1期エリアにできた複合型商業施設グランフロント大阪の高層階に上ると、駅跡の開発状況を一望できます。巨大クレーンがせわしなく動いている建設現場の向こうに、関空特急「はるか」が梅田貨物線を行き来しているのも見えるでしょう。
 
 特急電車が関西最大の繁華街である梅田エリアの裏手を走り抜ける姿は独特な雰囲気を醸し出してきましたが、梅田貨物線での運行は2023年2月11日で終了。特急は翌日、終日運休して、13日から地下線を経由します。3月18日ダイヤ改正で開業する大阪駅地下ホームにつながる新線への切替工事をするからです。

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大阪駅南西にある西梅田エリアの高層ビル群。ここも1982年まで梅田駅のコンテナ施設があった(森口誠之撮影)。

 梅田駅の敷地は、1987(昭和62)年の国鉄分割民営化の際、約37兆円の累積赤字を返済するため売却が決まりました。東京の汐留駅、埼玉の大宮操車場、名古屋の笹島駅など他の貨物施設も売却され、約20年前に開発は終了。それぞれ鉄道新駅も設置されました。

 梅田駅は長らく大阪都心最後の一等地として注目されましたが、あれから36年経っても再開発は未完のままです。なぜ大幅に遅れているのでしょうか。

存在した「梅田駅の隣の貨物駅」計画

 梅田駅の広大な敷地を再開発すべきとの声は1960年代からありましたが、当時は鉄道貨物の全盛期であり、国鉄が撤去に応じることはありませんでした。

 しかし70年代に鉄道貨物の輸送量が急減し、75(昭和50)年度末の国鉄の累積赤字が3兆円を超えると、状況が変わります。

 国鉄は当時、梅田駅の西側で4階建ての巨大な貨物駅を整備する計画を立案していました。1階に貨物発着ホーム12線、2階にコンテナの荷捌き場、3階以上は倉庫や事務所が入居する巨大物流施設を想定しました。梅田駅の貨物機能を西側に集約することで、駅南西部のコンテナ施設6.5ヘクタール、駅東側の5ヘクタールを売却しようとの狙いです。

【地図/写真】うめきたプロジェクトと新駅/現役当時の貨物駅

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