5年更新じゃなく「再試験」 初期の運転免許の厳しさ 今こそ原点回帰?
明治に考え出された東京の免許制度かなり先進的だった
東京府(当時)が制度化する以前、既に愛知県の他20の府県で自動車の免許のようなものがありましたが、そのどれもが、馬車に適応していた法律に若干の手直しを加えたというものでした。しかし、東京で制度化されたものは、警視庁が試乗会まで実施して入念に考えたものでした。
免許の取得に当たっては、担当警察官を隣に乗せての運転能力試験をしたほか、「登録車両にはブレーキを備えよ」「車両前面にはヘッドライトを付けよ」といった形で、自動車に必要な装備の記載もあり、より先進的なものでした。また、営業車の他に自家用車にも対応できるように条文化されたいたことも特徴です。ちなみに都内で初めて免許証を取得した人は、当時の三井銀行の三井高保社長を送迎する運転手だったそうです。
そして、1908(明治41)年に初の大衆車と呼ばれる「フォード・モデルT」がアメリカで登場すると、急速に自動車が普及しだします。それは日本でも同様で、自家用車も多く登録されるようになると、自然と県をまたいで走るクルマも多くなり、地域ごとにまちまちだった規定を統一する必要性が出てきました。それが、初めて全国統一の交通法規として1919年(大正8年)に施行された「自動車取締令」でした。
この法律では、甲種と乙種の免許が定められました。甲はどんな車両でも運転できる免許で、乙は特定自動車や特殊車両に限ってクルマを運転できるというものでした。18歳以上が対象で、自治体で定められた試験場で試験を受ける必要がありました。そして、最大の特徴が5年期限の“更新制”ではなく、“再試験制”だったことです。つまり、試験に落ちてしまうと免許が維持できませんでした。
1933年(昭和8)年になると、普通免許と特殊免許、小型免許の3種類に分類され、初めて「普通免許」という文言が登場します。現在の免許の形にほぼなったのは、1960(昭和35)年に、「自動車取締令」に代わって「道路交通法」が施行されてからです。このとき、普通免許、大型免許、第二種免許に分けられたことに加え、原付免許が新設された他、側車付き自動二輪免許が自動二輪免許に統合されるなどしました。
現在は高齢ドライバーの事故が増加したことから、2022年より免許更新時に75歳以上、かつ過去3年以内に一定の交通違反があった高齢ドライバーに対して、実車試験(運転技能検査)が行われるようになりましたが、再試験制だった初期の運転免許は現在よりも厳しかったといえるでしょう。
【了】
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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