温泉施設は“駅予定地”、裏の遊歩道は“鉄道” 未成の「岩日線」今やドライバーのオアシスに
もともと駅だった温泉施設 開業できなかった“県境越え区間”
岩日線として計画されていた区間のうち、山口県側の錦町までの32.7km(川西~錦町)は1963(昭和38)年までに順次開業。その後、錦町~六日市間(16.6km)も工事が進み、前出の遊歩道を含む六日市駅予定地(現在「ゆ・ら・ら」敷地)もほとんど完了していました。この駅予定地は国鉄バス・JRバスの営業所として転用され、のちに温泉施設として開業を果たしています。
しかしこの頃には経営悪化に伴う国鉄の合理化が始まっており、未開業区間は工事が進んでいた他の路線と同様、1980(昭和55)年に工事凍結。開通済みの区間も、営業係数(100円の収入にかかる営業費用)が1970(昭和45)年の時点で238、その後も悪化をたどり、1987(昭和62)年には沿線自治体が出身する第3セクター「錦川鉄道」に転換され、現在に至ります。
その際に島根県側から「せめて六日市まで開業させてほしい」との働きかけが行われたものの、県境を越えるため通院・通学の流動も見込めず、採算の予想が厳しく断念。錦町~六日市間に列車が走る可能性は、ここで消滅しました。なお開業できなかった区間のうち、錦町から先の6kmほどは2002(平成14)年から、タイヤで走る遊覧自動車「とことこトレイン」のルートとして活用されています。
岩日線は開業が国鉄の赤字転落と同時期だったこともあって、当時の週刊誌には「(錦川の)対岸にはバス1日100本、こちらは1日6往復」「その先は完成するのか」などと、別の意味で注目を集めことに。そのため当初から建設費用の削減が行われ、列車の交換(行き違い)設備もほとんどなく、駅舎も設備も極めて簡素なものでした。もし全線が開業していたとしても、幹線鉄道の役割を果たしていたかどうかは疑問です。
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