「見沼台」じゃないの? 謎の駅名「見沼代親水公園」に300年の歴史 日暮里・舎人ライナー

日暮里・舎人ライナーの終着駅「見沼代親水公園駅」は、「見沼代」という見慣れない地名が含まれています。どんな意味があるのでしょうか。

見沼代親水公園駅 「代」ってなんだ

 東京都足立区を南北に縦断する新交通システム「日暮里・舎人ライナー」、その終着駅が、区北部の「見沼代親水公園駅」です。

 駅名標を見ると「見沼代+親水公園」という2単語の合成駅名のようですが、最初の「見沼代(みぬまだい)」というのは何なのでしょうか。なぜ「練馬高野台」「湘南台」などのように、「見沼台」といった標記になっていないのでしょうか。

Large s

拡大画像

日暮里・舎人ライナーの見沼代親水公園駅(画像:写真AC)。

 駅名の由来となった見沼代親水公園は、1984(昭和59)年に開園。もともとそこにあったのは「見沼代用水」という農業用水でした。見沼代用水の歴史は約300年前、1727(享保12)年にさかのぼります。

 これには、さらに古い時代の利根川と荒川の大改修事業が関係しています。1590(天正18)年に豊臣秀吉の命で徳川家康の所領が静岡から関東へ移されると、家康は利根川を現在のように銚子へ流すように大改造します。江戸時代に入ると、1629(寛永6)年には、荒川も蓮田・岩槻あたりを流れていたのが、現在の南側の流路に変更されます。

 そもそも、「見沼」は現在のさいたま市の地名です。見沼は河川改修事業の結果、大河川から遠くなり、あまり水が来なくなり、生活に支障をきたします。そのため、「見沼溜井」というダム貯水池のようなものを建造され、8代将軍・徳川吉宗の時代には、現在の利根大堰のあたりから農業用水が引かれます。「見沼の、代わりの、用水路」、つまり見沼代用水と名づけられたこの用水路の末端のひとつが、現在の東京都足立区北部でした。 

 現在、その用水の面影は、駅名の由来にもなった「見沼代親水公園」に残っています。もちろん「見沼代」という地名は現在も周囲に存在しません。

【了】

【日暮里・舎人ライナー「埼玉延伸」3つのルートを見る】

テーマ特集「【特集】読めるか!な難読駅 日本一長い/短い駅名… なぜその駅名になったのか」へ

最新記事

コメント

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleのプライバシーポリシー利用規約が適用されます。

1件のコメント

  1. 見沼代用水は現存していますよね?

    >現在、その用水の面影は、駅名の由来にもなった「見沼代親水公園」に残っています。
    これだと駅名以外に跡形もないように誤解されませんか?
    地名、駅名、その他に残っていなかったとしても(その点の正誤は確認しておらずわかりませんが)
    そもそもの見沼代用水があるのにこのような記載は大きな誤解を生むと思うのですが