謎のまま消滅 東京の「環6地下鉄」計画とは? “交通貧弱地帯”池袋~渋谷に群がった鉄道新線構想
東京の地下鉄整備計画の中には、かつて短命に終わった「環6地下鉄」の構想がありました。どんな計画で、なぜこんな計画が立ち上がり、消えていったのでしょうか。
「東京の地下鉄」計画の試行錯誤
東京の地下鉄の歴史はいよいよもうすぐ100年。その間さまざまな地下鉄が計画され、実現した路線がある一方で、看板倒れに終わった路線もあります。そのひとつが「環6地下鉄」でした。
東京をはじめとする大都市の地下鉄整備計画は、各社の利害を調整し大局的な観点から進める必要があることから、国土交通大臣(省庁再編以前は運輸大臣)の諮問機関である審議会が各社、各自治体にヒアリングを行った上で「答申」を取りまとめ、これに従って行われます。
これまで歴代の都市交通審議会、運輸政策審議会、交通政策審議会は様々な路線を答申してきました。例えば昨年に整備が正式決定した地下鉄新線「有楽町線 豊洲~半蔵門線 住吉」区間は元々、1972(昭和47)年の都市交通審議会答申第15号で始めて登場した路線であり、実に半世紀もの時間を経て動き出したことが分かります。
夢にあふれた「1968年審議会答申」の構想路線
1968(昭和43)年の都市交通審議会答申第10号では、現在整備済みの地下鉄路線にくわえて、丸ノ内線の「池袋~成増間延伸」、銀座線の「浅草~南千住間延伸」が掲げられましたが、後の答申で他路線に振り替えられるなどして、結局実現しませんでした。
その中でも最も謎に満ちた存在は、答申第15号に「検討路線」として登場したものの、以降はまったく具体化しないまま消えた「主として環状6号道路を経由して、板橋付近より五反田、品川に至る路線」です。ここでは便宜上「環6地下鉄」としておきましょう。
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