指示待ってられるか! 関東大震災の「災害派遣」一番乗りした戦艦とは 他艦も“独断専行”で急行

正式な命令なしに品川沖まで直行!

 急行した「長門」は9月5日16時に品川沖へ到着。なお、この時点まで海軍大臣からは正式な許可が降りておらず、ある意味では独断専行行為でしたが、この到着からしばらくした19時、正式任務が付与されることとなり、災害支援活動をしていくことになります。

「長門」は当時、建造から2年ほどしか経っていない新造戦艦でしたが、以降たびたび連合艦隊の旗艦として登場し、1945年の敗戦まで国民に親しまれていくことになります。

 また、「長門」の姉妹艦である「陸奥」は9月9日、米や麦といった補給物資を満載して横須賀に到着します。これは当時、呉鎮守府の長官だった鈴木貫太郎が9月2日に海軍大臣の許可を得ず、独断で艦艇の派遣を決定し、物資倉庫を開放して救援物資の搭載を命じため可能になったことでした。

 その後11月15日までの約2か月半にわたり、日本海軍各艦艇は品川や横須賀を拠点として罹災者の救護、救援物資の輸送にあたったほか、海軍陸戦隊などによる交通・通信機関の復旧工事などに従事しました。

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「長門」の姉妹艦である「陸奥」の建造初期の姿(画像:パブリックドメイン)。

 なお、長門の品川到着とほぼ同じ頃に、装甲巡洋艦「ヒューロン」を中核とした米国のアジア艦隊の一部も、救援のため外国艦隊としては一番乗りで品川に入港しています。当時の米国大統領だったジョン・カルビン・クーリッジ・ジュニアは現地時間の9月1日の夜には関東での大地震の報を知り、ただちに対日支援を決断しました。

 通信能力が圧倒的に違うにもかかわらず2011年3月11日に発生した東日本大震災のときの支援作戦「トモダチ作戦」のような動きで支援体制を整えており、同国の情報収集能力が当時から高かったことが伺えます。

【了】

【え…建造中の空母が横転!?】震災直後の横須賀港の航空写真ほか

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コメント

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3件のコメント

  1. 災害派遣に「一番乗り」という表現はいかがなものかと思うのですが

  2. 当時の米国大統領選だったジョン

    選は衍字?

    • ご指摘ありがとうございます。修正いたしました。