「74式戦車」まもなく引退 “しゃちほこ” 部隊が消え“サーベルタイガー” 部隊が見参!? その正体とは
74式戦車の部品に見た技術の継承
また、今回の創立記念行事では、記念式典や車両の観閲行進、訓練展示(模擬戦)などは駐屯地の西グラウンドで行われましたが、近傍の別グラウンドでは74式戦車や16式機動戦闘車、87式偵察警戒車や偵察用オートバイ、地対空ミサイル「ペトリオット(パトリオット)」発射機などの車両展示が行われ、朝から多くの見学者で賑わっていました。
その傍らに立てられたテントのなかでは、74式戦車の訓練や整備で用いる各種備品が公開されていました。具体的には74式戦車が搭載する105mm戦車砲の模擬弾や、整備用の特殊工具である大型スパナ、予備履帯や転輪などが展示されていたのですが、筆者はその転輪の縁に付けられた黒いゴムのある文言に目が止まりました。
それは「明治ゴム化成」という会社刻印です。このゴム製造会社、実は太平洋戦争中やそれ以前に作られた旧日本軍の戦車にも大きく関係する企業でした。
明治ゴム化成は、1900(明治33)年に明治護謨(ごむ)製造所として誕生した企業で、長らく重工業や化学工業向けに工業用ゴム製品を供給しており、日本初のゴム製品製造の海軍指定工場にもなっています。第2次世界大戦直前の1936(昭和11)年には明治ゴム製造所へと改め、戦後の1966(昭和41)年には社名を明治ゴム化成に変更、現在に至ります。
このように長い歴史のなかで、旧日本軍の各戦車にも同社のゴム製品が使われていたことがあります。実際、静岡県富士宮市の若獅子神社に展示される九七式中戦車の上部転輪には、かつての社名である明治ゴム製造所の刻印を目にすることができます。
今回、今津駐屯地で74式戦車向けの新品の転輪ゴムに明治ゴム化成の名を見つけたことで、旧軍と自衛隊、双方の国産戦車が約40年の時を超えて見事に結びついたのです。
筆者はここに、戦前から連綿と続く日本企業の技術継承を見たように感じました。こういったことは実際に足を運ばないと気付かない発見といえるでしょう。そうしたものを見つけると、いつもとは違う観点から記念行事や各種イベントを楽しむことができるようになるかもしれません。
【了】
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