国を守った「伝説の戦闘機」が“チェコ製”って? メッサーシュミットそっくり珍機 イスラエルが重用したワケ
パイロットからは「酷評」
アヴィアS-199は1947年に初飛行しましたが、きわめて操縦しにくい機体となってしまいました。なぜなら、DB605に比べてユモ211は重く、しかも本来が爆撃機用エンジンなのでレスポンスが遅かったからです。
加えて幅が広い爆撃機用プロペラから生じるトルクは大きく、これらが原因となって操縦は原型よりも難しくなってしまいました。しかも、傑作機といわれたBf109の数少ない弱点のひとつ、左右の主脚の間が狭い車輪間隔のせいで、離着陸時の危険性もきわめて高くなったのです。
S-199は、このように欠点が多い機体だったにもかかわらず、1947年から1949年にかけて約550機が生産されチェコスロバキア空軍に配備されました。しかし、その扱いにくさのせいで、同空軍のパイロットたちからは不評だったとか。その一端は、強情な性格のラバになぞらえて付けられた「メツェク」なるあだ名にも表れていると言えるでしょう。
では、なぜそんな素性の悪い機体が中東イスラエルにわたったのか、それはひとえに同国の成り立ちにあります。
イスラエルは、1948年5月14日に独立宣言を行い、国として歩み始めましたが、この一方的な宣言にエジプトやシリア、レバノン、ヨルダンなどの近隣国と、同地域に定住していたパレスチナ人は反発し、戦争(第一次中東戦争)が始まります。
当時、欧米各国はイスラエルに対し武器禁輸を行っており、その中で同国は独立を維持するため、合法非合法問わずあらゆる武器を世界中からかき集めていました。こういった中で手に入れることができた数少ない軍用機が、前出のS-199だったというわけです。
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