「ローカル線つくった、後はよろしく」国鉄の赤字路線を建設しまくった「鉄道公団」が抱え続けた「明と暗」
昭和後期の国鉄末期は、「鉄道公団」という組織が新線建設などを代行しました。赤字路線を各地にどんどん建設した悪評のいっぽうで、現在の鉄道整備に関わる重要な任務も担っていました。
国鉄とは別の団体「鉄道建設公団」が誕生したワケ
1964(昭和39)年に日本鉄道建設公団(鉄道公団。「鉄建公団」は俗称)が設立されてから、今年で60周年を迎えます。
多数の赤字路線を建設しては国鉄に引き継がせたことから、ネット上ではゲーム「桃太郎電鉄」のキャラクターになぞらえて「キングボンビー」と称されますが、一体どのような目的で設立され、どんな役割を果たしたのでしょうか。
1962(昭和37)年当時、鉄道敷設法が定める予定線約1.7万km中、3割に達する約5000kmが未完成のままでした。地方はこぞって「鉄道の早期整備」を強く求めていました。
しかし高度経済成長期を迎え、国鉄は大都市通勤路線の輸送力増強、幹線の電化・複線化などの近代化、東海道新幹線建設など各種の「設備投資」に追われていました。独立採算制だったため、自己資金と借入金の範囲でしか事業を進められず、都市鉄道や幹線の新設・改良で手一杯で、新路線を建設する余裕はありません。
そこで政府は国鉄から新線建設業務を分離し、「鉄道交通網の整備を図り、もって経済基盤の強化と地域格差の是正に参与する」組織として鉄道公団を新設したのです。主導したのは後の内閣総理大臣、当時自民党政調会長だった田中角栄でした。
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