「ローカル線つくった、後はよろしく」国鉄の赤字路線を建設しまくった「鉄道公団」が抱え続けた「明と暗」
私鉄の新線計画も助けた「鉄道公団」その現在は
鉄道公団は1972(昭和47)年に「採算性の低い新線建設や大改良は、民間の力だけでは十分に行われないので、公団の手によりこれを促進」するため、民鉄の新線建設、複々線化など大規模改良工事を対象とした「P線」業務が追加されました。
P線方式は鉄道公団が資金を調達して鉄道を整備し、事業者は代金を25年元利均等払いで支払います。年利5%以上の金利は国と地方公共団体が補助し、利子負担を軽減する制度も設けられました(5%でも当時は低金利でした!)。
鉄道公団は必要があれば用地取得から設計、契約、施工まで行いましたが、1972(昭和47)年着工の東急新玉川線(田園都市線渋谷~二子玉川)のように、公団の工事を鉄道会社が受託したケースも多くありました。事実上の自社工事ですが、その場合の公団の役割は「建設費の建て替え」だけになります。
新玉川線の事業費は約291億円と見込まれていました。当時の東急の鉄道事業営業収入は約125億円、営業利益が約15億円にすぎず、一般的には「到底不可能な投資」でしたが、公的組織である鉄道公団が好条件で資金を調達してくれたわけです。東急は「(新玉川線は)P線方式により資金面に一定の見通しが得られ、大きく進展することとなった」(『東急100年史』)と振り返っています。
そんな鉄道公団ですが、1980年代に入って国鉄再建が始まると、建設中の路線は多くが工事凍結となりました。「三陸鉄道」や「北越急行」など地元自治体が第三セクターを設立して受け皿となった路線は、工事が再開され昭和末期から平成初期にかけて開業しました。
国鉄民営化後の鉄道公団は、旧国鉄資産(用地や株式)の処分などを担当するとともに、引き続き民鉄事業(P線方式)を進めましたが、特殊法人改革の一環で2003年に約40年の歴史に幕を閉じました。
鉄道公団の後身となったのが「独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)」です。機構は今も、整備新幹線の建設や2005(平成17)年施行の「都市鉄道等利便増進法」に基づく都市鉄道整備など、事業者の負担を軽減しながら鉄道整備を進める役割を果たし続けています。
【了】
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
コメント