「ローカル線つくった、後はよろしく」国鉄の赤字路線を建設しまくった「鉄道公団」が抱え続けた「明と暗」

新線計画の「のこり3割」完成に向けて全力疾走

 新線建設に要する資金は、政府と国鉄からの出資金、大蔵省資金運用部資金(財政投融資)からの借入れ、鉄道建設債券の発行でまかなうとされ、国鉄本体とは異なり国から資金を調達可能でした。こうして鉄道公団は赤字転落した国鉄に代わり、新線建設を推進していきました。

 鉄道公団の担当は、いわゆる「地方ローカル線」である地方開発線(A線)、地方幹線(B線)に加え、主要幹線(C線)、大都市交通線(D線)、海峡連絡線(E線)、新幹線(G線)、民鉄線(P線)と多岐にわたります。

 設立10年目の1973(昭和48)年度建設予算の内訳は、AB線330億円、CD線485億円、E線190億円、G線1000億円、P線360億円の総計2365億円。ローカル線ばかり作っていたというイメージとは異なるかもしれません。

 ローカル線(AB線)以外の主な事業としては、CD線では貨物列車バイパスルートである東京外環状線(武蔵野線・小金線・京葉線)、東海道本線と北陸本線を短絡する湖西線、E線は青函トンネル、G線は上越新幹線などがありました。

 完成した鉄道施設は、国鉄が建設費と利子負担額を「貸付料」として均等払いして利用。支払い完了後は公団から施設譲渡を受けました。貸付期間は最終的に40年まで延長されたため、武蔵野線の支払いが終了したのはつい最近のことです。ただし「後進地域その他特定の地域の開発等のため」の路線、つまり未開発地域の不採算路線は貸付料が無償でした。

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岡山・鳥取を走る智頭急行。国鉄時代、鉄道公団が大部分を担当した(画像:写真AC)。

 路線が完成するたびにローン残高が増えていくのは「キングボンビー」と言わないまでも、「なのね~ん」と割高な物件を買ってくる「貧乏神」のの顔を思い浮かべてしまいます。

 独立採算の国鉄に不採算路線を押し付ける点では、鉄道公団は大きな矛盾を抱えていました。田中角栄ははっきり「ローカル線建設の人口分散化、大都市の過当集中排除という意義をふまえれば、もうからなくてもかまわない」と述べています。

 もっとも、赤字ローカル線だけが国鉄破綻の原因とは言えません。国鉄再建法が成立する前年の1979(昭和54)年、国鉄の営業キロの41%が地方交通線でしたが、損失に占める割合は意外に少ない「29%」でした。

【画像】まさに混沌…これが「終戦直後の東京の電車」です

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