「新空港へ移設後の旧空港跡地」その後どう変貌? 「元空港敷地で野球するぞ~」な使用法も
国内空港のなかには、かつて別の場所にあったものの、さまざまな理由で別の場所に移設されたものが存在します。この「旧空港跡地」はどのように活用されているのでしょうか。その一例を見ていきます。
工場作ろう!公園にしよう!となった旧空港
●北九州空港
福岡県にある北九州空港は現在、北九州市内の海上に位置していますが、2006年までは現在の空港から約8km西、小倉南区曽根北町に位置していました。
新空港の開港後、旧空港は「北九州空港跡地産業団地」として再整備されています。旧空港は「九州自動車道やJR駅に近接し交通利便性に優れた立地」(北九州市)とされ、滑走路や誘導路があった場所には、各社の倉庫や工場などが立ち並んでいます。また旧滑走路西側(RWY11)の末端付近は、2011年に九州労災病院が移転してきたためか、同エリア付近には薬局があり、そのほかに住宅街なども見られます。
旧空港のシンボルであった管制塔は2012年まで残ったものの解体され、いまや「ここが空港だった」痕跡はほとんど見られません。
●大分空港
大分空港は、大分市からクルマで約1時間北上した国東市に位置していますが、1971年まで大分駅から北東に2.8kmほど離れた、大分市のほぼ中心に位置していました。
その旧大分空港跡地は、空港移転後の1973年に国から公園用地としての払い下げをうけ、「大洲総合運動公園」に生まれ変わりました。
敷地の形状は空港時代をほぼそのまま残すものとなっており、ターミナルや駐機場部分は現在、硬式野球場に変貌。滑走路があった部分は、広場やテニスコート、ゲートボール場などになっています。公園内の「芝生広場」には、大分空港跡地であることを示す石碑が掲げられてます。
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なお、これら空港が移設する要因のひとつとしては、いずれも市街地にあり、これ以上空港の拡張が難しかったことがあげられます。旧鹿児島空港などは海に面していたものの海側への拡張が難しく、旧大分空港は、当時大分地区に臨海工業地帯を作る計画が進んでおり、空港の存在が工業地帯を構成する企業の高炉建設に支障するといったことも、移設の一因とされています。
【了】
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