なんて神秘的なんだ… 手掘りトンネルを抜けた山中に忽然と現れる「廃駅」その正体とは 今や地域随一の人気「廃線」

日本中に残る鉄道遺構の中でも、神秘的な雰囲気で人気の「三河大草駅」。この駅はどのようにして生まれ、どのように廃止されたのでしょうか。現地までのアクセス路も整備されつつ、往時を存分に感じることができます。

そこは「三河大草駅」の跡 奥三河の山中にあり

 日本には数え切れないほどの鉄道廃線跡や遺構があります。ただし廃止から時間が経過している場合は、雑草や木々の成長、道路整備、区画整理などによって往時の姿が失われるケースも。廃線跡を見つけるために、深い藪を分け入ったりする必要もあるほどです。
 
 一方で、自治体や地域・企業などにより、訪問しやすいよう整備されている場所もあります。今回はその中から、神秘的かつ比較的手軽に訪れることができる人気の廃駅、「三河大草(みかわおおくさ)駅」を紹介します。

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三河大草駅跡(遠藤イヅル撮影)。

 愛知県新城(しんしろ)市にある旧三河大草駅は、現在のJR飯田線 本長篠駅から北へ、三河田口までを13駅13.6kmで結んでいた「豊橋鉄道田口線」の駅です。田口線は、名刹・鳳来寺への参拝客輸送や、奥三河の木材を輸送する目的で、1927(昭和2)年に設立された田口鉄道を前身とします。

 田口鉄道は1929(昭和4)年、豊川鉄道鳳来寺口駅(現・JR飯田線 本長篠駅)から三河海老駅までが先行して開業し、1932(昭和7)年に三河田口駅まで全通しました。三河大草駅は開業翌年の1930(昭和5)年に開設されています。接続元の豊川鉄道など4社は戦時中に国有化され飯田線になりましたが、田口鉄道は国有化されず、1956(昭和31)年に豊橋鉄道と合併。豊橋鉄道の田口線となりました。

 しかしその後、モータリゼーションの発展、沿線人口減少による乗客減、木材をはじめとした貨物輸送量の減少・廃止、さらには数回に及ぶ自然災害による大きな被害が続き、1968(昭和43)に惜しまれながら廃線となりました。

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