2度あることは… 3度の大破を生き抜いた旧海軍の幸運艦 ミュージカル上演は所縁の地で

3たび沈没を免れる

 続いて「青葉」は、8月下旬の第2次ソロモン海戦、10月上旬のサボ島沖海戦に参加。この戦いでは、アメリカ艦隊の先制攻撃によって「青葉」の艦橋や2番、3番砲塔、カタパルト、機関部などが被弾。戦闘能力が低下したため、煙幕を出して海域から離脱しました。なんとか沈没を免れた「青葉」は、修理のために呉に戻ることとなりましたが、この際に大破した3番砲塔は撤去され、代わりに対空機銃の増設などが行われました。

 約4か月に渡る修理の後、「青葉」は1943(昭和18)年2月下旬から、再びラバウル方面で最前線に立つようになります。しかし4月3日、ラバウル近傍のニューアイルランド島においてアメリカ軍のB-17爆撃機の爆撃を受け損傷。さらに搭載魚雷の誘爆によって大破してしまいます。浅瀬だったため沈没こそ免れましたが、応急修理ののち、再び呉に戻り本格修理となりました。

「青葉」は同年12月に戦線復帰。任務はシンガポール方面での輸送でした。1944(昭和19)年10月、兵員輸送に従事したレイテ沖海戦において、潜水艦の雷撃を受け大破。修理のため、3度目の呉帰港の途に就くこととなりました。

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「青葉」の艦橋から撮影した20cm連装砲塔(画像:アメリカ海軍)。

 しかし雷撃の傷は大きく、ドックを長期間占有してしまうことから修理は後回しとされ、「青葉」は呉工廠の近くに係留されたままとなります。1945(昭和20)年2月には予備艦扱いとなり、そのまま冒頭で触れた7月の呉軍港空襲を迎えました。船体は完全には海中に没せず、「青葉」は終戦の翌年に解体されています。

 ちなみに『この世界の片隅で』のアニメ映画ポスター用に描かれた「青葉」は、最後に呉へ入港した際の様子が元となっています。

【了】

【写真】空襲で着底した「青葉」at 呉港

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