「救助ヲ乞フ…」日露戦争で敵兵を介抱した島根の人々って!? 120年続く祭りの原点にも

慰霊碑だけでなく由来の祭りまで定期開催

 救助された乗組員の数は諸説あり不明です。というのも、日本海海戦で多くのロシア艦艇から兵士が投げ出され、島根沿岸へと上陸しているからです。この時も、「イルティッシュ」だけでなく巡洋艦「ウラル」の乗組員も上陸しており、合わせて200名以上のロシア兵が捕虜になっています。

 救助した江津市和木の人々は、「イルティッシュ」の乗組員たちを丁重に扱い、海に入って、流された彼らの備品や遺品まで集めるといったことまで行いました。

 日本海海戦に勝利した後、日露両国はポーツマス条約を結び日本の勝利が確定しますが、賠償金は取れず、日本全体に「講和反対、ロシア憎し」のムードが漂います。そうした中においても「イルティッシュ」の乗組員を救出した人々は、彼らのことを忘れず、「イルティッシュ」の慰霊碑も立てられています。
 
 そして、現在まで戦争による中断をはさみながらも、毎年「ロシア祭」が行われています。戦争中の敵対関係にありながらも、そこには間違いなく友情と呼べるような関係が築かれていたことがうかがえます。

 また、「イルティッシュ」乗組員救助を題材とした、『イルティッシュ号の来た日』という映画も2022年に制作されています。

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「イルティッシュ」を追撃したとされる日本海軍の防護巡洋艦「浪速」(画像:パブリックドメイン)。

 ちなみにこの「イルティッシュ」、なぜか「金塊が積載されていた」という噂が何度か流れ、船の引き上げを試みようと調査が行われています。第二次世界大戦後の1959年には、実際に引き上げが試みられましたが失敗。機雷が発見されただけに終わりました。

2007年にもロシア船により調査が行われましたが、その結果の詳細は公開されていないようです。

【了】

【もうすぐ120年】今も残る「イルティッシュ」をきっかけとした交流(写真)

Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)

なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。

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