「スタジオジブリ」宮崎 駿がメッチャ愛する“異形のクルマ”とは? 事務所「二馬力」の由来にも
国民的アニメと称されるほど人気のジブリ作品。その顔ともいえる宮崎 駿監督は、実は大の飛行機好きにしてメカ好きです。スタジオジブリや宮崎さんの個人事務所の「二馬力」の名称の由来、そして彼の愛車について見てみます。
「ジブリ」と「二馬力」、どちらも乗りもの由来
スタジオジブリは1985年の設立以来、名作・傑作と呼ばれる劇場用長編アニメを数多く制作し、その多くをヒットさせてきました。そして、ジブリ作品の多くが老若男女問わず幅広いファンを持つ、今では多くの人から「国民的アニメ」として親しまれています。
そんなジブリの看板監督が宮崎(「崎」は山へんに「立」と書いて「可」の異体字が正式) 駿さんです。彼は飛行機が主体のオリジナル作品『紅の豚』や『風立ちぬ』を制作したほか、やはり主人公が空駆ける『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』を手掛けるなど業界屈指のヒコーキ好き、メカ好きで知られます。そんな彼の愛車は、「いかにも」なモデルでした。
そもそも宮崎さんは、学習院大学を卒業後、東映動画に入社するとアニメーターとして長編アニメの制作に参加したのち、スタジオを移籍しながら『ルパン三世』や『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』などのTVアニメの制作に携わっています。
1979年には『ルパン三世カリオストロの城』で映画監督デビューを飾ったものの興行的には不発に終わり、この失敗により数年間仕事を干されてしまいます。しかし、1984年の『風の谷のナウシカ』の成功がきっかけとなり、徳間書店の出資を得てスタジオジブリを開設。以後、『千と千尋の神隠し』『ハウルの動く城』などのヒット作を連発していきます。
そもそもスタジオジブリの名称は、サハラ砂漠に吹く熱風に由来しているのとともに、カプロニCa.308偵察機の愛称でもあります。そして彼の個人事務所の名前は「二馬力」(のちにスタジオジブリと合併)。これは宮崎さんが愛用するフランスの大衆車、シトロエン2CVの愛称に由来します。
宮崎さんがメカに興味を持ったのは、その生まれに理由がありました。彼の父親は一族が経営する「宮崎航空機製作所」の役員で、生家には未公開の旧軍戦闘機の資料などがあり、少年期の宮崎さんはそれらに触れたことで、航空機や軍艦などへの興味を持ち、知識を増やしていきました。
とはいえ戦後、大学に進学した宮崎さんは、経済学の授業で「戦争がいかに経済的に不合理であるか」との講義に感銘を受け、戦争という行為の愚かさを悟り、それまで収集した軍事関連の書物を泣きながら焼いたそうです。もっとも「三つ子の魂百まで」とはよく言ったもので、宮崎さんはしばらくすると再び資料集めを始めたそうですが……。
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