助けに行ったら自分も漂流!? 終戦間際の日本に墜ちた米軍パイロット「救出作戦」の顛末 どうやって助けたのか
米軍による「最後の本土空襲」の裏で
翌10日朝、再び大湊空襲のため「エセックス」から飛来したF4Uにコーンビー中尉が自分の居場所を知らせると、連絡を受けた救助隊が昼に到着します。救助にあたったチームは「エセックス」のF4U(4機)と戦艦「ノースカロライナ」のOS2U(2機)でした。
ところが、救命ボートを投下しようとしたF4Uの1機が、操縦を誤って海面に墜落してしまいます。一方、泳ぎ出したコーンビー中尉に、着水したOS2Uのパイロットがスロットルを開けたまま片足を翼に出した姿勢で待機しています。そこで機体が波に煽られパイロットは海に投げ出されます。付近には大湊からの砲弾が着弾しており、このままでは救助はおろか、損害が拡大してしまいかねない状況でした。
そこへ直水した2機目のOS2Uがすばやく2人を救出し、ミッションは完了しました。米軍が大分県沖の対空戦闘と同じく救助に2機のOS2Uを用意したのは、こうした不測の事態に対応するためでした。
戦争末期に米軍が日本本土で危険な救出作戦を実施できたのは、制海権と航空優勢を確保していただけでなく、護衛戦闘機とOS2Uで救出班を編成できるだけの装備に余裕があったからといえます。
日本軍もソロモン諸島の戦いなどで、遭難した搭乗員を水上偵察機や飛行艇で可能な限り捜索・救出しています。日米戦について物量の差があげられます。単に兵器の量や性能だけでなく、運用の面でどのような影響があるか、これらのエピソードは教えてくれます。
【了】
Writer: 時実雅信(軍事ライター、編集者、翻訳家)
軍事雑誌や書籍の編集。日本海軍、欧米海軍の艦艇や軍用機、戦史の記事を執筆するとともに、ニュートン・ミリタリーシリーズで、アメリカ空軍戦闘機。F-22ラプター、F-35ライトニングⅡの翻訳本がある。
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