衝撃!! 目前で大型旅客機つくってる…「大人の社会科見学」できる驚きのホテル行くには?

太平洋戦争の勃発で事態が一変

 ところが、1941年12月の日本軍による真珠湾攻撃で、戦争の様相が一変します。飛行艇の必要性が大幅に低下したことに加え、アメリカ陸軍航空軍(現在のアメリカ空軍)の大型爆撃機B-29「スーパーフォートレス」による大量投入が日本に打撃を与えるのには有効と判断されたことから、レントンはB-29の主力工場に転換されました。

 この結果、XPBB飛行艇はレントン工場が生んだ最初の製品になったものの、試作機1機だけで幕を閉じています。

 B-29の1機目は1943年12月に完成し、併設されたレントン空港で初飛行します。戦争末期の1945年7月には月160機の生産態勢を整え、B-29の工場で最多となりました。
工場は操業を停止した1946年までに1122機のB-29を送り出しています。

 工場は休止後に「サーカスのゾウなどの一時滞在場所にも使われた」(ボーイング)そうですが、1949年に息を吹き返します。B-29を発展させた空中給油機KC-97が組み立てられるようになったのです。ほどなくして旅客機の生産も始まり、中でも1967年4月に初飛行した737は、世代を重ねて累計生産機数が1万2000機に迫る世界最多のジェット旅客機種へと成長しました。

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ボーイングのレントン工場の隣にあるホテル「ハイアット・リージェンシー・レークワシントン・アット・シアトルズ・サウスポート」(2024年8月、大塚圭一郎撮影)。

 ボーイングはレントン工場を「世界で最も効率的な航空機工場」と豪語します。そんな言葉とは裏腹に、労働組合が2024年9月に約16年ぶりとなるストライキに突入したため稼働停止に追い込まれています。

 労組は11月4日、4年間で38%の賃上げなどを盛り込んだ労働協約案を受け入れてストを終結させました。これにより、ハイアット・リージェンシー・レークワシントンにも、隣接する航空機工場の作業風景を垣間見ることができる日常が戻ったようです。

【了】

【マニアでなくても見たいかも!】これがボーイングの大型機生産ラインです(写真)

Writer: 大塚圭一郎(共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員)

1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。

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