東京駅の床に歴史あり 昭和初期に発生したある事件
4時間以上もノンストップ、特別な特別急行だった「燕」
浜口首相が乗車しようとしていた特別急行「燕」は事件の前月、1930(昭和5)年10月1日に非常に大きな注目を集めて登場した列車です。東京~大阪間の所要時間を従来と比べ一気に約2時間半も短縮し、8時間20分で結んだからです(東京~神戸間は下り列車が9時間、上り列車が8時間55分)。
停車駅は大変少なく、下り列車は横浜と国府津、名古屋、大垣、京都、大阪、三ノ宮で、上り列車が三ノ宮と大阪、京都、名古屋、沼津、横浜だけ。下り列車は国府津~名古屋間300km、4時間以上もノンストップでした。国府津(神奈川県)と沼津(静岡県)、大垣(岐阜県)は、山越えの補助機関車を連結するという運転上の都合での停車です。
特別急行「燕」は「超特急」と呼ばれ高い人気を集め、浜口首相がそれに乗ろうとしていたように、多くの要人が利用しました。紀行作家の故宮脇俊三氏は著書『増補版 時刻表昭和史』(角川文庫)のなかで、少年時代に東京駅へ「燕」を見に行ったときのことについて「各車両とも見送り人が黒々と集まっていて、見るのは容易ではなかった。とくに展望車のあたりは要人が乗っているのか、警官もいて物々しく近寄り難かった」と記しています。
ちなみに「燕」という列車名は、1929(昭和4)年に行われた日本初とされる列車名の公募結果から命名されています。その公募結果は1位「富士」1007票、2位「燕」882票、3位「櫻」834票で、以下「旭」576票、「隼」495票、「鳩」371票、「大和」366票、「鴎(旧字体)」266票、「千鳥」232票、「疾風」219票、「敷島」215票、「菊」198票、「梅」181票、「稲妻」176票、「宮島」163票、「鳳」156票、「東風」153票、「雁」151票の順。1位の「富士」と3位の「櫻」は1929年、東京~下関間の特別急行列車に命名されています。
また特別急行「燕(つばめ)」とその名はかつて国鉄のシンボル的存在として扱われ、プロ野球球団「東京ヤクルトスワローズ」は、その前身が「国鉄スワローズ」だったことが由来です。そして現在も、国鉄バスの流れをくむJRバスには「つばめマーク」が多く描かれています。
【了】
Writer: 恵 知仁(鉄道ライター)
鉄道を中心に、飛行機や船といった「乗りもの」全般やその旅について、取材や記事制作、写真撮影、書籍執筆などを手がける。日本の鉄道はJR線、私鉄線ともすべて乗車済み(完乗)。2級小型船舶免許所持。鉄道ライター/乗りものライター。
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