「川崎重工、旅客機つくらないの?」 三菱MSJ以前に存在した計画とは “成功機フル活用案”消えたワケ
三菱スペースジェット(MSJ)の開発とん挫で、再度棚上げとなってしまった国産旅客機の開発。かつて川崎重工が、これを試みたことがあります。どのようなものだったのでしょうか。
川崎重工案、なぜうまくいかなかった?
当時の開発関係者にすれば、有事の生存性と任務遂行率に重きを置いて設計された哨戒機は、各部を旅客機向きに変更しても、旅客機と同じレベルの経済性を追求するのは難しかったということです。
「P-1を旅客機に仕立て直しても航空会社が目を向けてくれるか分からなかった」とのことで、これは旅客機から派生した米国のP-3やP-8哨戒機と対照的でもありました。
それでも川崎重工は2006年7月の英国ファンボロー航空ショーで、YPXを模型ながら公開しています。それは商機を見つけるためだったのではないかと、今も考えています。
欧米などに目を向けると、旅客機メーカーは1国、あるいは1地域に1社しかないというのが、民間航空界の現状です。もし仮にMSJ、YSXの双方が実現し、日本で2メーカーの旅客機が生まれていた場合、販売面では少なくとも欧米メーカーのように円滑にはいかないことは想像がつきます。
それでも川崎重工業がYPXを民間航空界の一大イベントで展示したのは、自社が潜在的に持つ技術力を海外へ示す意味合いもあったのではないかと考えています。
MSJとん挫後の日本は、経済産業省が2024年3月に次世代国産旅客機の開発へ新戦略を示しましたが、盛り上がりを見せていません。しかし、筆者は商機を探ることまであきらめる必要はないと考えています。その意味では、YPXのような旅客機の構想が、国内外の展示会で具現化する光景に期待したいところです。
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