「転ばない二輪」を作りたい!「凄すぎ安定性バイク」生み出したヤマハの執念 50年前には驚愕の試作車まで

転倒リスクが少なく、走りに安定感のある「フロント2輪」タイプのバイク。「トリシティ」などのモデルで知られるヤマハは、なんと1970年代後半から開発を続けていました。

なんと「パッソル」の時代からあった! 意外に長いヤマハ「フロント2輪」の歴史

 万が一の時にも転倒リスクを低減することができ、またふらつきが少なく安定感があるといわれる「フロント2輪」バイク。ヤマハ発動機の「トリシティ125」(2014年)や「ナイケン」(2015年)などが有名ですが、これらのモデルはヤマハが独自に開発した「LMW」というフロント2輪システムを採用しています。

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ヤマハ初の「フロント2輪」バイクとして登場した「トリシティ125」(画像:ヤマハ)

 実はヤマハのフロント2輪バイクの歴史は意外なほど古く、最初に構想したのは1970年代後半でした。当時ヤマハでは「パーソナルビークル」の研究開発が進められており、フロント2輪タイプのモデルも立案され、1977年に発売した原付1種スクーターの「パッソル」をベースとしたプロトタイプも作られました。念入りなデータ解析や実走行を繰り返して得た技術やノウハウは特許を出願し、すでに実用・量産体制をとれるレベルにまで近づいていました。

 しかし、パッソルをリリースした後、市場では原付1種スクーターへの需要が爆発的に増加。そのためヤマハ社内では「いったんフロント2輪は置いておいて、原付1種に力を注ぐべし」という方針がとられ、この時代の「フロント2輪」はお蔵入りに。開発チームやデザイナーたちは落胆しましたが、その一方、バイクのように車体を傾けながら旋回できるフロント2輪のマルチホイールモデルへの情熱は、全く冷めぬままでした。

 最初のお蔵入り以降、ヤマハから「フロント2輪」モデルは30年近く登場しませんでした。この間も研究開発は行われてはいたものの、コンセプトモデルの出品のみで終わったり、リーマンショックなど不況の影響で中断を余儀なくされたりするなど、1歩進んで2歩下がるような、もどかしい状況が続いていたようです。

 しかし2010年代に入ると、従来のバイクユーザー以外を呼び込むこと目指してか「次世代モビリティを検討するプロジェクト」がヤマハ社内で立ち上がり、改めてフロント2輪モデルの研究開発が加速しました。

【こんな昔から作っていたの?】これが1970年代の元祖ヤマハ「フロント2輪」モデルです(写真で見る)

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