フランス「絶ッ対に原子力空母手放しませんよ?」なぜ? 相次ぐ苦難も「シャルル・ド・ゴール」を就役させたワケ
フランス海軍の空母「シャルル・ド・ゴール」はアメリカ海軍以外で稼働している唯一の原子力空母でもあり、ある意味では「フランスの意地」が生み出した艦でもあります。
原子力空母一隻運用はかなり大変!
原子力空母という艦艇は1950年代からアメリカやソビエトを中心に開発競争が進められてきました。

アメリカはその豊かな経済力を活かし、大型の原子力空母を次々に就役させましたが、ソビエトはいくつかの原子力空母が計画されましたが、実際に就役することはなく未完に終わっています。
フランスは同時期に原子力潜水艦の建造に取り組み、その技術を活かして空母の建設を開始しました。ソビエトが崩壊し、またアメリカ、フランス以外の国も当時まだ原子力推進の空母の建設には消極的だったため、結果、「シャルル・ド・ゴール」はアメリカ海軍以外での唯一の原子力空母となったのです。
ちなみに艦名の「シャルル・ド・ゴール」についてですが、当初ミッテラン大統領は「リシュリュー」とする予定でしたが、ド・ゴール主義の継承者を自認する後の大統領であるシラク首相(当時)の介入により艦名が変更された経緯があります。
冷戦終結直前から正規空母を持つことは国家の大きな負担となっていました。第二次大戦中、かなり数の空母を運用していたイギリス海軍ですら、1980年代に入ると、インヴィンシブル級という軽空母を運用する方針に切り替え国防費の節約を図りました。にもかかわらず、あえてフランスは原子力空母を選択したのです。
しかしフランスの原子力空母建造は順風満帆ではありませんでした。
「シャルル・ド・ゴール」は1994年に進水こそしたものの、その後原子炉の強度不足が発覚したり、また搭載を予定していたE-2C早期警戒機を運用するには甲板がやや短いことが発覚したりと就役はどんどん遅れていきます。ようやく就役か、と思われた2000年9月には大西洋を横断中に推進用のプロペラが破損。修理のためにドッグに入ってしまいました。
2001年にようやく就役したものの、その後も大きな問題を抱えることが確定していました。それは、計画開始当時1990年代初頭には2隻の原子力空母の就役が予定されていたのが、作業に遅延や予算上の理由から2番艦は計画のみで中止となっていたことです。これは空母運用にとってはかなり痛手です。
一般的に空母は、1隻が実任務に就き、1隻は整備、1隻は整備完了後の訓練用に保有するという3隻体制が理想的といわれ、艦隊を継続的に運用するためには、最低でも2隻が必要といわれています。「シャルル・ド・ゴール」は完成以前から、絶対に長期離脱を許されない“ひとりっ子空母”であるという使命を背負わされていました。
日本も戦前戦艦大和を建造したが維持費がべらぼうに高く、結局官僚組織の虚栄心を満たすだけしか役に立たなかったと言える。アメリカが原子力空母3隻を持っていても金食い虫でトランプが同盟国に相応の負担を求めているのは維持費が苦しいからだろう。
巨大な軍事機器はそれなりにお金がかかる。しかし近代戦を見ると必ずしも巨大火力戦闘機が強いとは言えない。ミクロの武器で動力部分を破壊すれば長期離脱も可能な時代になっている。