「るろ剣」の軍艦 実は元ネタあった? 当時の水準だとかなりの性能! なぜ“出オチ”の如く沈んだ?

令和の現在、「煉獄(れんごく)」といえば煉獄さんの方が圧倒的に有名ですが、平成の時代に『るろうに剣心』作中に登場した「煉獄」という艦がネタになったことがありました。

私設の武装組織でこれ持ってたの確かにスゴいけど…

「煉獄」モデルといわれているのは戊辰戦争時に、新政府軍がアメリカから購入した艦である「甲鉄艦」です。同艦は1869年3月25日に旧幕府軍で元新選組の土方歳三が同艦を奪取するべく移乗攻撃(アボルタージュ)した艦としても有名でした。

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建造中の「東艦」こと「ストーンウォール」(画像:アメリカ海軍)

 戊辰戦争後は艦名を「東艦(あずまかん)」に改められ、日本海軍の軍艦として、1874年の佐賀の乱、台湾出兵に参加し、1877年の西南戦争でも周辺の海域に待機していました。つまり旧式化していたとはいえ、海軍の現役艦と同じ艦を武装勢力が持っていたことになります。

 ちなみに、るろうに剣心の作中で、元新選組の幹部は、京都編からメインキャラになった斎藤一のほかにも人の枠を外れた強さを発揮しているので、土方もその例にもれず並外れた戦闘力を持っていたはずです。そのような人物が乗り込んで沈まなかった軍艦と同じような艦が、あっけなく沈んだということは、もはや左之助の持ってきた小型爆弾が異常という結論で片づけるしかありません。

 同爆弾は、戊辰戦争時代に左之助の戦友だった月岡津南が作った炸裂弾となっていますが、とても黒色火薬が原料とは思えません。おそらく現代兵器ばりの高性能火薬が使われていたのでしょう。

 ただ、無事に剣心らを艦砲射撃で追い払ったとしても、東京に艦砲射撃を行うことはかなり困難だったと予想されます。京都編は大久保利通暗殺事件の後の話ですので、日本海軍には「東艦」に1隻加え、それより大きい装甲艦である「扶桑」と装甲はないものの、快速であるコルベットの「金剛」が就役していました。この2隻は「東艦」に積まれたアームストロング砲よりもはるかに強力な主砲を備えている、欧州へ発注した新型艦であるため勝ち目がありません。

 しかも、西南戦争以降は電信などの通信技術が飛躍的に上昇しているので、たとえ巧妙に隠蔽したとしても、不審な大型船が変な行動を取っていれば、即バレて迎え撃たれしまう可能性が高いですので、やはりあっけなくやられていた可能性も高いことでしょう。

 結局志々雄一派は「煉獄」を買うくらいならゲリラ戦をした方が良かったのかもしれません。もしくは組織の資金の全財産を使って最新式の後装式の17cmクルップ砲を持つ快速コルベットを買えば、時代を先取りしすぎたスペックを有す左之助の爆弾以外には勝ち目があったかもしれません。

【画像】い、違法建築じゃないぞ!? これが、初代「扶桑」です

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ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。

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