80年前に沈んだ船が!? 硫黄島で“怪現象”が発生中…その驚愕の理由って? 一般人立入禁止のウラで“激変”
硫黄島の戦いといえば、第二次世界末期の激戦のひとつとして知られています。この場所で80年経過した今、珍しい現象が起きています。
隆起が激しすぎかつての海底から沈没船が…
実際に空撮写真などを見ると、太平洋戦争時、南北に細長かった島は、東西にゆるやかに広がり、島全体が大きくなっていることがよくわかります。島の西に位置した大きな岩礁は、島がせり上がった関係で、今では陸地続きになってしまっています。

実は2014年に国土地理院 が調べたところ、小笠原諸島で最大の島であった父島(約23平方km)を抜き、硫黄島が、同諸島最大の島となっていたことが明らかになりました。
その後も島の隆起は続き、国土地理院が2022年に地図を更新した際は、父島を抜いたときよりもさらに、約6平方kmも陸地が増えていることが判明しました。これは東京ドームに換算すると130個分にもなります。隆起のペースは毎年一定ではないものの、調査では1年で1mほども隆起することもあったそうです。
硫黄島が活発な火山活動で海底が隆起したことによって、戦時中をうかがい知る海底の痕跡まで確認できるようになりました。
実は硫黄島のような火山島は砂浜や浅瀬が少ないため港湾を作ることが困難です。そのため、硫黄島での戦いでアメリカ軍は、島の近海に古いコンクリート製の船をいくつも沈め、簡易的な橋頭堡を作ることで、上陸の足掛かりにしました。それらの海底に沈められた船が80年経った現在、海底の隆起により地上へと押し上げられたのです。
たった80年でこれだけ形が変わってしまうのですから、もちろん現代の技術をもってしても、海岸に港湾を設置することはできていません。
なお、海上自衛隊では航空部隊のほかにも掃海艇部隊がこの硫黄島近海で機雷掃海訓練を毎年行っています。ただし、彼らも訓練後などに島に立ち寄ることはできず、そのまま母港へと帰っていきます。
また物品の納入や人員輸送は基本的に飛行機のみとなります。どうしても船舶で運ばねばならないものの際には、輸送艦「おおすみ」型で島の近くまで運び、搭載されたLCAC (上陸用のホバークラフト)で、砂浜に上陸して運び入れる、という方法をとっています。
Writer: 凪破真名(歴史ライター・編集)
なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。
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