西武の2大幹線は「めちゃくちゃ仲が悪かった!」なぜ? 開通130年&110年 争いの跡が“廃駅”に

最初の開通から130周年の西武新宿線、110周年の西武池袋線。両者はかつて別々の私鉄で、極めて仲が悪い関係でした。両路線が交わる街には、“争い”の歴史が刻まれています。

「パクリじゃないか!」と言ったか言わぬか“名前が似すぎ”な2駅

 武蔵野鉄道(現在の池袋線)の所沢市街の廃駅は、秋津から北西へ向かってきた列車が、所沢駅の手前で進路を南に変える、その途上にあります。これも、武蔵野鉄道が所沢の乗客を取り込もうとしたものだそう(老川慶喜『堤康二郎』)。

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東所沢駅跡をラビューが走っていく(乗りものニュース編集部撮影)。

 1938年2月、地名から「松井村駅」として開業したものの、3月にはすぐ「所沢飛行場駅」に改称。この年に所沢飛行場には陸軍整備学校が開設されており、最寄り駅として整備されました。跡地には現在、松井まちづくり協議会が立てた駅跡を示す標柱が設けられています。

 すると旧西武鉄道(現在の新宿線)は6月、ほとんど名前が同じの「所沢飛行場前駅」を、所沢駅の北側に開設。戦争が激しくなると、施設名を隠す目的で所沢飛行場駅は「東所沢駅」(現在のJR東所沢駅とは無関係)、所沢飛行場前駅は「所沢御幸町駅」に改称されました。

 やがて旧西武鉄道は、武蔵野鉄道の堤康二郎が経営を掌握し、両社は合併へと舵を切ります。飛行場から遠かった東所沢駅は戦況の悪化に伴い1945年2月に休止され、そのまま再開されず廃止となりました。

【ここです!】仲が悪すぎた池袋線と新宿線の「廃駅」(地図/写真)

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