結局「戦艦」ってなんなのよ? かつての「海の王者」の栄枯盛衰…実は「スタイル変えて復活」案も!?

かつては「海戦の王者」と呼ばれた戦艦。海戦、さらには戦争そのものの勝敗を決する、大艦巨砲主義とも呼ばれる一時代を築き、かつてはその国の軍事力の象徴として君臨していました。ですが今は廃れた艦の種類となっています。

戦争の勝敗を決めたともいえる海戦が発生

 20世紀に入ると、艦隊決戦により戦いの雌雄を決しようという考えが正しかったことを強く印象付ける海戦が起こります。日露戦争中の1905年5月27日に発生した日本海海戦です。

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イギリスの戦艦、ドレッドノート。ド級、超ド級という言葉のもとになった戦艦(画像:イギリス海軍)

 同海戦では、日本の連合艦隊が、ロシアのバルチック艦隊の主力艦をほぼ全て沈める完全勝利となり、ロシア側を講和交渉の場に引きずりだす一因になったと言われています。たった一度の海戦が戦争そのものの流れを変えてしまったのです。この海戦の結果に刺激されるような形で、当時の世界の海の覇者であるイギリスと、同国覇権を争っていたドイツとの間で激しい建艦競争が起きることになります。

 そして1906年、伝説的な1隻の軍艦が進水します。それがイギリス海軍の戦艦「ドレッドノート」です。「ドレッドノート」にはそれまでの戦艦とは大きく違う特徴がありました。ひとつは「単一巨砲」による武装、そしてもうひとつは蒸気ガスタービン推進です。この革新的な艦に刺激される形ですぐに「ドレッドノート」を超える艦である超ド級艦が登場。第一次世界大戦で大艦巨砲主義は最高潮となります。

 ただ、敵味方の大型艦が艦隊を編成し、一大決戦を行い戦争での優位を決するために試みられた海戦は、この第一次世界大戦中に行われたユトランド海戦が最後となりました。

【せ、戦艦の元祖!?】これが、英仏が建造した装甲艦です(写真)

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