『紅の豚』の登場機体 実は元ネタあった!? “水上機”の世界最速レース 国の威信を賭け 大戦中の戦闘機の元になった機体も
『紅の豚』が『金曜ロードショー』で放送されます。実はこの劇中の会話で出てくる「シュナイダー・トロフィー」という大会は実在しており今から約110年前に初開催されました。
水上機だと思い切ったエンジンを搭載できた!
なお、『紅の豚』に登場する航空機はことごとく下駄履き(フロート付き)の水上機や飛行艇になっていますが、これも戦間期の飛行機技術を反映させる形となっています。

第一次世界大戦後は、航空機に引き込み式の降着装置が定番化される前でした。ほかにもフラップも未発達で高揚力も得られませんでした。さらに、滑走路の舗装技術も未熟だったせいもあり、滑走距離が長く確保でき、穏やかな状態ならば衝撃の少ない海上を離水する水上機の方が、高性能な機体を作れるという考えがありました。
「シュナイダー・トロフィー・レース」はまさに、そうした“水上機こそ最高性能の飛行機”という時代に行われたレースだったため、飛行機メーカーに軍が全面協力することも珍しくなく『紅の豚』の時代に最強を誇ったカーチスはアメリカ軍が強力にサポートしていました。そのため、他国も軍が本気にならなければ勝てないとなり、各国の威信を賭けたレースに発展していきました。技術に関しては特ににエンジン開発への貢献が大きく、1920年代に同レースで研究された流線型の形状である液冷エンジンはイギリスの「スピットファイア」、アメリカのP-51「マスタング」、イタリアのマッキ C.202 「フォルゴーレ」など第二次大戦時の運用された戦闘機にも採用され、受け継がれることになります。
同レースは、同じ航空機メーカーが3大会連続で優勝すると、トロフィーをそのメーカーの永久保存とし、レース自体も閉幕することになっていました。そのレースを1927、1929 、1931年と3連覇し、終わりにしたのも、第二次大戦中に「スピットファイア」シリーズの製造も手掛けたスーパーマリン・エイヴィエーション・ワークスでした。
ちなみに、1925年にアメリカ・ボルティモアで行われたレースでカーチス R3C-2を操縦して優勝したジミー・ドーリットル中尉(当時)は、後に、第二次大戦で日本を初空襲するドーリットル中佐その人でした。
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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