バブル絶頂期に神奈川で量産されたドイツ車とは?「技術の日産」の礎か 日本人が驚愕したハナシまで
R32型「スカイライン」やZ32型「フェアレディZ」、P10型「プリメーラ」など、1990年代の傑作車を生み出した日産の「901運動」。そのきっかけとなったのは、フォルクスワーゲン「サンタナ」を日産がノックダウン生産したことでした。
日産「901運動」のきっかけを作った日産製ドイツ車
「サンタナ」は、1981年に2代目「パサート」派生の4ドアセダンとして誕生したモデルで、縦置きエンジンを搭載したFF(フロントエンジン・フロントドライブ)レイアウトを採用していました。生産はドイツのフォルクスワーゲンの工場だけでなく、ブラジルや中国でも行われ、フォルクスワーゲンの国際戦略車といえる存在でした。

当時、日産はイギリスに自社工場を建設したほか、スペインのモトール・イベリカへの資本参加、アルファロメオとの合弁事業で「アルナ」をイタリアで生産するなど、積極的な海外展開・外国メーカーとの提携戦略を実施していました。その一環で、フォルクスワーゲンとも提携、座間工場(当時)でノックダウン生産することにしたのです。
計画では日産製「サンタナ」の月間販売目標は4000~5000台でしたが、質実剛健なフォルクスワーゲン流のクルマ作りは、見た目の豪華さと充実した装備の日本車に慣れた日本人には受け入れられず、デビュー当初から苦戦します。さらにマイナーチェンジ直後の1987年にアイドル回転制御装置の不具合から暴走事故の可能性が指摘され、これもまた販売に大きく影響しました。
当時、日産のトップであった石原 俊社長は「サンタナ」の国内生産を足掛かりに、フォルクスワーゲンとの関係強化を目論んでいたようですが、販売不振により両社の関係は冷え込み、フォルクスワーゲン車の日本生産は「サンタナ」のみで終了します。加えて、1991年には、販売に関してもトヨタと新たに提携することが決まったため、日産とフォルクスワーゲンは袂を分かっています。
国内販売はまるで振るわなかった「サンタナ」ですが、乗用車としての実力はたしかなもので、フォルクスワーゲンから引き渡されたサンプル車を検分した日産の技術者たちは驚きを隠せなかったそうです。
搭載されるJ型2リッター直列5気筒SOHCおよびJN型1.8リッター直列4気筒SOHCエンジンは、最高出力こそ100~140psだったものの、燃費を重視して高性能スポーツカーに採用されるのと同じ鍛造ピストンが使われていました。また、ボディに用いられる自動車用鋼板の品質は極めて高く、シートは高剛性のフレームに反発力の異なるクッションを組み合わせた多層構造のものが採用されていました。
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