小田急と京王の乗換駅、下北沢に中間改札がないのはなぜ?

小田急線と京王井の頭線の乗換駅である下北沢駅。2013(平成25)年に小田急線が地下化されましたが、地上時代も地下化以降も、両線の駅のあいだには、会社が違うにもかかわらず中間改札がありません。なぜでしょうか。

小田急の一部だったこともある井の頭線

 小田急線と京王井の頭線が乗り入れる下北沢駅ですが、かつては小田急線ホームの真上に井の頭線の高架ホームがありました。両線のホームは近く、さらに小田急電鉄と京王電鉄とで会社が異なるにもかかわらず、中間改札は設けられていませんでした。

 2013(平成25)年に小田急線の下北沢駅を含む区間が地下化されましたが、このタイミングにおいても中間改札は設けられることなく、現在もないまま。これには、両線をめぐる“ある歴史”が関係しているようです。

 京王井の頭線は、1933(昭和8)年に帝都電鉄の路線として開業。2線が交わる下北沢駅は小田急線との乗り換え駅になりました。その後の1940(昭和15)年、帝都電鉄は小田原急行鉄道(後の小田急電鉄)に合併されたことで「小田急帝都線」になります。

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複々線化による運転開始は2017年度、駅舎工事を含めた事業の完了は2018年度を予定する小田急線の下北沢駅(2016年6月、恵 知仁撮影)。

 しかし小田急も戦時中の1942(昭和17)年、陸上交通事業調整法により京浜電気鉄道(後の京急)とともに東京横浜電鉄と合併し東京急行電鉄に。このときさらに、帝都線の名称は「井の頭線」に変わります。1944(昭和19)年には京王電気軌道が東京急行電鉄と合併、1945(昭和20)年には相模鉄道の経営が東京急行電鉄に委託されました。

 そして戦後。井の頭線と京王線を運営する企業として1948(昭和23)年、東京急行電鉄から京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が分離し、これ以降、井の頭線が小田急に“復帰”することはありませんでした。

 現在の下北沢駅に中間改札がない理由について、小田急電鉄の担当者は「利便性の向上が目的」と説明します。しかし以上のような歴史的経緯を踏まえると、中間改札がないのは、井の頭線が「小田急帝都線」であったことの名残ともいえるかもしれません。

【了】

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コメント

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8件のコメント

  1. 以前は改札などはないのが当たり前でした。関東だけでも、高尾、松戸、分倍河原、東飯能、藤沢、川越、佐野、栃木などなど。中京圏だと尾張一宮、関西だと東福寺など、記憶にあるだけでもこれだけの駅に改札がなく、今は設置されています。大昔の記憶では、確か新宿の南口は国鉄と小田急と京王は改札がなく、スルスルでつながっていました。昔はそういうおおらかな時代だったし、今は会社単位で関所を設ける世知辛い時代になったのだろうと思います。上にある下北沢は、帝都線時代のことを持ち出すまでもなく、改札がないのが普通だった時代の名残とみるべきだと思います。

    • そういえば、昔は同じ新宿駅なら違う鉄道会社の定期でも通り抜けができたような気がします。
      30年ほど前、ロマンスカーが好きだった自分は京王線の定期券で京王新宿→明大前→下北沢→小田急新宿と移動して、ロマンスカーを間近で眺めてから改札を出た記憶があります。

  2. 確か同じ小田急と相鉄の大和も中間改札がなかったはずですが、こちらも「大東急時代」の名残でしょうか?

  3. >コンコンさん

     有人改札が自動化され、ICカード乗車券が普及してきたのが主な要因でしょう。
     有人改札だった当時は、経路通りに切符を購入することが大前提でした。新宿駅でも、事前にJRか京王か小田急の切符を買っているからこそ、改札を共有することができたのでしょう。真偽は不明ですが「改札係は切符が有効かどうかの判断をすることには慣れていたが、切符を持たずに堂々と入場するような想定外の客には何もお咎めなしだった」という話も聞きます。
     それが今や乗車経路によって1円単位で運賃が自動計算される時代。事前に切符を購入してから乗車する人は激減してしまいましたから、厳密にチェックしないと鉄道会社の収入が大幅に変動することもあり得ます。自動改札というシステムの穴をついて欺くことはいくらでもできますから、“関所”という手段で対抗せざるを得なくなったと考えることはできないでしょうか。

    >SHさん ……と思ったら後半はコンコンさんへの返信になってしまった

     大和駅は今でも中間改札はありませんね。現在は他社線からの流入はすべて大和駅経由だと確定できるのですが、2019年以降に予定されている相鉄・JR・東急直通線が開業すると経路が特定できなくなるので、その時に中間改札が設置されるのではないかという噂があるようです。
     同様に「直通運転で中間改札が設置された」例として西船橋駅があります。この駅では東京メトロ東西線とJR中央総武線などの乗換駅であり、平日の朝夕は両線の直通運転が行われています。しかし困ったことに、反対側での中野駅でも両線は直通しており(こちらは平日休日かかわらず一日中)、しかも全線JRを乗りとおした時よりも、JR-メトロ-JRと乗ったほうが運賃が安くなるのです。
     本来ならば切符を購入して乗車区間を指定すべきなのですが、2007年3月にメトロがPASMOを導入し、JRのSuicaと相互利用を開始したことにより、ICカードで通り抜ける客の区別が不可能になりました。このとき、直通列車が存在する不完全な点はありながらも、運賃収受を正確にできるように中間改札が設置されたのです。大和駅でも同様の流れになることが予想されます。

  4. みんな知らないのね。改札あったよ。木造の改札。私が子供だった頃(約50年~60年前)の記憶だけど。 駅員がいてちゃんと見張ってた。だんだん居たり居なかったりして(居なかった時はラッキーだったのよ。)そのうち改札撤去されたんだよ。

  5. わたしも改札の記憶はあります。
    昭和40年代前半、井の頭線ホームから小田急の下り線ホームに行く階段の手前に改札があったと記憶しています。
    でも、逆側の小田急上り線ホームへ降りて行く途中の改札はうろ覚えで、どのあたりの位置だったか思い出せません。

  6. 上記同様、中間改札はありました。
    小田急上りホーム後方より、井の頭線に乗り換える通路に所に
    井の頭線のホーム渋谷よりの先の、
    小田急に乗り換え通路にもありました。
    今から、30年〜35年前ですが。

  7. 記憶してる人がいるのなら、中間(乗り換え)改札あったのかも。小田急の理由が「利便性の向上が目的」ということは、存在していた中間改札を構内の混雑解消などの為に撤去したとも受け取れる。

    とするとこの記事に限らず見受ける「中間改札が無いのは大東急時代の名残り」的な記載は、ライターさんたちの勘違いか?

    どっちがホントなのかな?