デザインイメージは「虫」 こんなの作れない…!を根性でどうにかした“伝説の日本車”とは? いすゞ
自動車を筆頭にさまざまな名作を世に送り出してきたインダストリアル・デザイン界の巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ。日本車も数多く手がけていますが、なかでも特に「名作」といわれているのが、いすゞ「117クーペ」です。
設備投資の費用がなく、やむ得ず手作業で生産をスタート
自動車を筆頭にさまざまな名作を世に送り出してきたインダストリアル・デザイン界の巨匠、ジョルジェット・ジウジアーロ。日本車だけでも日産マーチ(初代)、三菱ギャラン(初代)、トヨタ・カローラ(5代目)、ダイハツ・ムーヴ(2代目)、スズキ・キャリイ(4代目)などを手がけています。

なかでも特に「名作」といわれているのが、1968年発売のいすゞ「117クーペ」です。
117クーペの開発にあたり、いすゞはイタリアのボディーデザインスタジオ、カロッツェリア・ギア社にコンセプト、デザイン、スタイリングなどを依頼。同社のチーフデザイナーだったのがジウジアーロです。
ジウジアーロは、コンセプトカーを担当したのちに、同社を退職して独立。自身のデザイン会社・イタルデザインを立ち上げました。量産モデルも新会社で継続して手がけることとなり、結果的に新会社で初めての仕事が117クーペとなりました。
独立直後のデザイナーにとって、最初の「仕事」はのちの受注に大きな影響を及ぼすわけで、ジウジアーロも相当な力をこめて117クーペのデザインに取り組んだことでしょう。
それに反して、当時のいすゞ自動車の製造技術では、ジウジアーロが考案したボディの外板をプレス機で再現することができず、新たに設備投資をしなければ実現できない、という壁にぶち当たります。経営状態も芳しくなかったいすゞ自動車が決断したのは「生産工程の大半を手作業で行う」というものでした。
こうした小規模生産体制に加え、巨匠・ジウジアーロのデザインであることや、いすゞ初の量産DOHCエンジンを搭載したこともあり、1968年の初代発売時の価格は172万円。同等クラスのモデルの約2倍にもなりました。
コメント