ポルシェはもはやSUVメーカー? この変化、スポーツカーの未来に意義があるワケ

経営不振に陥っていたポルシェ 2社の思惑が一致、そして

 ポルシェ社は1990年代まで実質、2シーターを中心としたスポーツカーを作る専業メーカーとして経営されてきました。そして1970年代はまだ良かったのですが、1980年代後半から1990年代初頭にポルシェ社は経営不振に陥ります。主力商品である1963(昭和38)年デビューの「911」が旧式化し、同車をしのぐ新しいヒットモデルを生み出すことができなかったからです。当時、ポルシェ社の年間販売台数は3万台規模にまで落ち込んでおり、20万台を越える現在の数分の1程度しかありませんでした。

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ポルシェ社の転換点ともなった「カイエン」、その最新特別仕様車であるプラチナエディション(写真出典:ポルシェ)。

 事態の打開を図るべく、ポルシェ社は1996(平成8)年に新しい水冷エンジンを載せた新型モデルの「ボクスター」をリリース。そして同じく「911」にも水冷エンジンを載せてモダン化、商品ラインナップの刷新を行います。これらにより販売は好転しますが、売上げが劇的に良くなるわけもありません。

 一方で当時、世界最大の市場であったアメリカでは、“オンロード派SUV”の人気が高まっていました。泥だらけなイメージであるオフロード向けのクルマではなく、街中をスマートに乗れる新しいキャラクターが与えられたSUVがヒットしていたのです。

 そんななか、同じポルシェ博士にルーツを持ち、設立当初から深い関係を維持していたポルシェ社とフォルクスワーゲン社(ドイツ)のあいだで、SUVの共同開発計画がスタートしました。「ボクスター」や新しい「911」により経営危機を乗り越えたばかりのポルシェ社、アメリカ市場進出に苦戦していたフォルクスワーゲン社、いずれもドル箱であるSUVはノドから手が出るほど欲しい車種だったのです。

 2社の共同開発にすれば、ポルシェ社は開発費用を抑えられ、フォルクスワーゲン社は「ポルシェ」の名声と技術を利用できるというメリットもあります。その結果として生まれたのが、ポルシェ「カイエン」とフォルクスワーゲン「トゥアレグ」でした。ポルシェ博士は、「フォルクスワーゲン・タイプ1(通称「ビートル」)」を開発し、フォルクスワーゲン社(ドイツ)の基礎を築いた人でもあります。

 SUVに、「ポルシェ」の名声とスポーツカーの走りをプラスした「カイエン」は、2002(平成14)年の発売と同時に大ヒットします。北米市場だけでなく、欧州やアジアでも大人気となり、結果、「カイエン」はあっという間に「911」を抜き、いつのまにかポルシェ社の販売の半数を占めるほどになりました。

 そしてこの「カイエン」のヒットは、ポルシェ社のみならず、世界中の自動車メーカーにも大きな変革をもたらしました。

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コメント

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1件のコメント

  1. フェラーリ社はレース活動のためにロードカーを売ってきているのだから、ある意味でフェラーリというブランド(クルマ・アパレル等)を買うということは、購買者の意識はさておきフェラーリ社にとってはレース活動支援のための行為と言えまいか。
    ならば、ポルシェ社がSUV製造者になったと考えるよりも、「最善である最新のRRポルシェ」の開発費をSUVを売って賄ってくれていると考えておいたほうが楽しい。