【懐かしの私鉄写真】構内踏切にドアカット 新宿では併用軌道! 京王帝都に路面電車の名残があった頃
京王電鉄の前身は京王電気軌道であり、その名の通り路面電車として発足しました。今でこそ20m車10両編成が地下や高架を走りますが、60年前は随所に、路面電車時代の名残が見られました。
この記事の目次
・新宿の甲州街道を併用軌道で走っていた
・地下化された笹塚~新宿 その初日の記録
・構内踏切が残る在りし日の京王線
・いよいよ複々線化 新線新宿駅が開業
・長閑な風景が広がる世田谷区以西
・地平時代の府中駅 なんとドアカットしていた!
【画像枚数】全33点
新宿の甲州街道を併用軌道で走っていた
京王電鉄京王線は軌道として発足したことから、1963(昭和38)年3月まで、新宿付近では甲州街道上を併用軌道で走っていました。その後、部分的に地下化や高架化が進み、18m車4両分だったホームは20m車10両分に延長されています。現在も代田橋駅から仙川駅の手前までの高架化が進められているので、近い将来、この区間の風景も一変することでしょう。
今回は、1962(昭和37)年から1978(昭和53)年にかけて撮影した、新宿~高幡不動間の断片的な記録を集めてみました。今なお地平を走る区間もありますが、車両はすべて世代交代して、時代の変化を実感させられます。



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Writer: 楠居利彦(鉄道ライター)
1946年、東京生まれ。中央線の沿線で育ったので、鉄道は複線で電化され、長編成の電車が頻繁に走るものと認識している。鉄道誌の創刊に関わり、車両データ本の編集を担当した。趣味は鉄道模型製作。