「戦後唯一の国産旅客機」YS-11、実は名機? 売れ行き&使い勝手もイマイチ…でももっと評価されていい!
定期便就航から60年を迎えた戦後唯一の国産旅客機「YS-11」。ここで今一度、旅客機=実用機としてのYS-11を考えたいと思います。
なぜ「低評価が優勢」なのか?
こうしたネガティブな評価には、YS-11は元々、戦前戦中に欧米機に負けない旧陸海軍機を手掛けた設計者たちを集めた開発体制だったことから、大きな期待がかかった末の反動だったこともあるでしょう。YS-11は「飛行機はつくれるけど旅客機はつくれない」と揶揄されたこともあります。そのようななかで名機と言ってよいのか、との考えが浮かび上がってきます。
ただ、回顧と記録のどちらからも感じられるのは、YS-11を育てるため開発陣も航空会社も、それこそオール・ジャパンで「苦楽を共にした」ことです。
敗戦により日本が豊かさを取り戻していない頃に、YS-11を戦勝国である米欧の旅客機に負けないように育てよう、輸出し「メイド・イン・ジャパン」を世界へ広げたい意欲が見られたことです。昭和に流行したスポ根アニメで描かれた「血と汗と涙の結晶」や「チーム力」にイメージが重なったことも背景にあるかもしれません。改善を重ねて立派な旅客機に仕立て上げることで、メーカーも航空会社も知識と経験を蓄え成長した――。そういった意味では「一心同体」に似た思いもあったことでしょう。
いささか日本人好みの判官贔屓と思うものの、こうした「ストーリー」もあり世間で親しまれたことを思えば、YS-11は名機と言ってよいと思います。
そして、「これから」へYS-11をどう語り継いでいくのがよいのでしょうか。旅客機の開発はメーカーが主体と思いがちですが、ユーザーである航空会社も当初から関わってきます。航空会社を抜きにして旅客機は完成しません。これは業種の「結集」を意味します。この結集が日本の工業力を強くするのは今も変わりありません。「結集」の事例としてYS-11を「名機」として語り継ぐのが良いと筆者は考えています。
Writer: 相良静造(航空ジャーナリスト)
さがら せいぞう。航空月刊誌を中心に、軍民を問わず航空関係の執筆を続ける。著書に、航空自衛隊の戦闘機選定の歴史を追った「F-Xの真実」(秀和システム)がある。
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